タレント鑑識眼・・・21/05/23
定年になるまで働いていた会社では広告宣伝も担当していたので、いわゆる”ギョーカイ”とも縁がありました。
 
ずいぶん前の話なのですが、会社の主力商品のイメージキャラクターを変更することになり、広告代理店に頼んで

「まだ有名じゃなくても構わないが、将来有望な10代後半の女性俳優」


を探してもらったことがありました。代理店が候補を5人ほどピックアップし、オーディション(面接)の様子を撮影したビデオを送ってもらい、それを見て会社が判断するという手順です。今 振り返るとその顔ぶれがなかなかでした・・・実名を出せないのが残念ですが。

ビデオを見て一番人気が出そうだなと思ったのはAさんでした。存在感が他の4名より頭一つ抜きんでていると感じました。
(無理矢理プラモにこじつければ、組み立てや塗装のレベルが高く、さらに若干の改造も施されていて展示会でも目を引くって感じ)

Bさんはとてもさわやかな印象で好感が持てました。やや押し出しが弱くAさんほどのインパクトは感じませんでした。
(本人が大好きな車種を時間をかけて丁寧に仕上げた好感の持てる作品。次はどんなのを作るのかなと楽しみになる)
 
Cさんは和風美人。また親は誰もが知っている有名俳優でした。
(とても美しく塗装された素組み作品。道具や塗料もいいものを使っているらしい)

Dさんはちょっと個性的な顔立ち。印象は悪くなかったんですが、A〜Cさんを押しのけて選ぶほどではないかなと思いました。
(オリジナリティーを大事にしたいという意思が伝わってくる作品)

Eさんは・・・よく覚えていません。

社内で相談し、Cさんを選びました。どれも皆知名度が十分とは言えない中、販売店から「この人誰?」と聞かれた時に「あの〇〇さんの娘ですよ」と説明できるアドバンテージも後押しになりました。
Cさんとはその後何年か一緒にお仕事をし、カタログやPOP 、テレビCMの顔になっていただきました。

では契約に至らなかったA、B、Dさん、そしてCさんは今どうなっているでしょう?

Aさんはオーディションの翌年くらいから人気が沸騰し、テレビで見ない日がないくらいになりました。私の鑑識眼は正しかったと悔しい思いもしたんですが、その後スキャンダルでネガティブイメージの方が勝ってしまい ました。何度かあった挽回チャンスも活かすことができず、現在は芸能活動を中断しています。

Bさんは順調に実績を重ね、現在はCMやドラマに引っ張りだこ。女性芸能人好感度調査などではランキング上位の常連です。また視聴者だけでなく業界内の評判も良いようです。

Dさんは個性的な中堅どころといった感じでテレビにも普通に出ています。前よりずいぶん垢抜けてきれいになったなと感じます。

肝心のCさんですが、 そこそこの知名度はあるけどテレビではドラマやバラエティーで時々見かけるくらいです。何年か前にあるサスペンスドラマに出た時は、登場したと思ったら数分後には死体で発見される役。見ていた私も思わずのけぞってしまいました。でも最近は舞台にも進出しているし 、美しさにもますます磨きがかかっている(経年劣化しにくい顔立ちなのかもしれない)ので、何かのチャンスを捉まえてブレイクしないかなあと願っています。

あの時もしAさんに決めていたら契約を途中で打ち切るしかなかったでしょうし、Bさんだったら契約料が年々高騰して継続を諦めざるを得なかった可能性もある。そう考えればCさんで結果オーライだったのかもしれません。

というわけで、今陰ながら応援しているのはもちろんCさんですが、何気にBさんも気になります。今は大人気だけれど本人のイメージに合った役柄ばかり演じていれば先細りになるかもしれない。これまでも何回かキャラクターチェンジに挑んだこともありますが、それがファンから受け入れられたとまでは言えなかったのが難しいところです。
(例えば綾瀬はるか・石原さとみ・橋本環奈あたりがゾンビ集団相手にマシンガンを乱射する姿は容易にイメージできるが、Bさんには無理にやってほしくない・・・ってニュアンスです)

プラモの展示会もちょっと芸能界に似ていますね。大きな展示会になるとカーモデルだけで何百もの作品が並びますが、その中で来場者の足を止めるには他とは違う何かを持っていないといけない。
私なんぞは制作技術が足りない分をハッタリで補っているところがあります。それはある意味逃げなんでしょうが、せっかく出すんなら一人でも多くの人に見てもらいたいと思うのでその路線からなかなか脱却できません。

とは言ってもこのスタイルで20年やってこれたことも事実。“キャラクターチェンジ”は無理に狙わず、これからも心の赴くままに続けて行こうと思ってます。



子育てが終了しました・・・
21/05/02
次男が無事大学を卒業し、4月から働き始めています。

勤める会社ではOA機器やデジタル機器の組み込みソフトウェア(ファームウェア)開発他色々手掛けています。そんなところでやっていけるのか心配な面もありますが、それはそれとして、これで仕送りを停止できるのがありがたい。

私が働いていた時期はまだ良かったんですが、定年になってからの約2年間は

「年金生活者からこんなに取るのか・・・」

とため息が出るほどの税金や社会保険料が吸い取られ、さらに仕送り(生活費とアパート代)ですから貯金は面白いように減っていました。

次男が行った大学はこの家から車で25分くらいの距離。アパートを借りずに車通学すれば経済的負担はずいぶん軽くなったでしょうが、私は独り暮らしを勧めました。一人で暮らせば掃除洗濯、食事の手配も自分でしなくてはなりませんし、体調が悪くなったら自分で医者を探さなくてはならない。

帰省すると時々

「お風呂が湧いていて食事も作らなくていい。何て楽なのか」

と言ってましたから、それは実感したんだと思います。どうせいつかは家を出るでしょうし、もし将来結婚するようなことがあればひととおり自分の身の回りのことができるか が重要ですから。

また大学時代は全国から集まる友達と交流し、時には夜遅くまで語り明かすなんてこともありますが、そのためにも大学近くにアパートを借りている方が有利ですし。

 

子供には幸せな人生を歩んでもらいたいと思います。そのために親ができることの一つは自分で生きていく力を身につけさせること。大学に行くことが正解とは言いませんが、少なくとも彼の場合は 自分で行きたいと思い、工学部で設計や開発に繋がる知識を学んだわけですから、できればそれを活かして自分の道を切り開いてもらいたい。

だから子供(長男・次男)には

「二人には財産を残す気はさらさらない。全部使い切ってしまうかもしれない。でも大学卒業までは責任をもって支援したしお金もかけた。まあ遺産の先払いだな。今後は親を当てにせず自分で稼ぎ、好きなように生きろ」

と伝えてます。

なお長男は3年前から東京で働いていて、最近はかなり面倒な仕事も任せられるようになっているとか。新型コロナの影響で1年半も顔を合わせていませんが、電話で話しているとずいぶん考え方がしっかりしてきたなと感心します。おそらく大丈夫でしょう。

というわけで長かった子育て、これにて終了です。

 

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追記

右の画像はスマホに入れている家計簿アプリの画面です。

2020年の一年間の支出を見ると、円グラフの水色で表してある「仕送り」が全体の四分の一を占めています。これがゼロになるのは大きい。

 


定年、その後 ・・・
21/03/07

気づいたら定年から二年近く過ぎてしまいました。

勤め人ならいつかは定年を迎えますが、その後どうするかは様々。好きなことをしながらまったりと過ごす人もいるでしょうし、再就職して働き続ける人もいる。

私の場合、幸い家のローンも終わり子供の仕送りも終了目前。後は若干の貯えと年金で何とかやっていけそうな状況でしたので、定年後は模型工作にたっぷり時間を割けるなと喜んでいたのですが、 現実は思わぬ方向に進んでいます。

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たまたま知り合った地元の町工場の社長がいるんですが、彼から

「定年になったのなら時々俺の会社に顔を出して手伝ってくれないか

と声がかかり様子を見に行ったところ、ざっと眺めただけでも問題だらけ。もしそれらの解決に私の知識やノウハウが活かせ、その会社を少しでも良くすることができたら面白いんじゃないかと思い、 一年ちょっと前から通っています。

私が40年以上勤めていた会社、入社した時はちょっと大きめの町工場といった規模でしたが、現在はよもやよもやの東証一部、製品も全国に広く出荷されています。 抱えている問題はたくさんあるものの、仕事がスムーズに流れるためのシステム作り、日々の改善活動、新規技術への挑戦マインド・・・そういったレベルは決して低くはないと思います。

一方今度の会社はパート含めて十数人。その多くが生産に携わっていて職人気質の人が目立ちます。作っている商品はこれからも社会に必要とされているし赤字ではないけど 、毎日みんなが一生懸命働いている割に利益は今一つ。社長自身も商談や見積もり作成などの日常業務から抜けられない。 でもそういう所は多いんじゃないかと思います。

入るお金を増やし出てゆくお金を減らせば利益は増えるはずです。例えばですが

・製品の質を上げて高く売れるようにする

・新しい技術を覚え、今までできなかったことをできるようにして販路を広げる

・不良を減らし、無駄な出費を抑える

・仕事の流れをもっとスムーズにして、作業能率を上げる

ことができれば前よりも儲かり、社長も社員の給料を増やせます。

ただしこれらはどれも簡単に片付く問題じゃありません。だからこそ社長も長年悩み続けています。そこに部外者の私が来てできることがあるんだろうかとも思いましたが、やれることから一つずつ手をつけています。

例えばある”物品”の在庫管理。それは8,000種類くらいあって毎日数十種類を棚から出して仕事に使っては戻すんですが、管理台帳と現品の整合性が取れていない場合が多く、時々何人かで棚をひっかきまわしているシーンにぶつかります。時間の無駄です。

そこで台帳と現物を全てチェックしてメンテしたところ、行方不明問題はほぼ起きなくなり、みんなからも感謝されました(事務の人にも手伝ってもらって半年以上かかった)。

不良発生についても

「次からはもっと気をつけて仕事する・・・じゃあだめだよ。人間は間違う生き物だから。同じ間違いを二度と起こさない”仕組み”を考えよう」

と投げかけ、社員と一緒に考えてルール化・習慣化したりしています。

その結果ですが、会社の雰囲気は前より良くなっているかなと感じます。売り上げや利益についてはコロナの影響もあって見えにくい所もありますが、作業能率には向上が見られますしパートの人達の生産性も上がっています。

とは言ってもトラブルのない日がないくらい毎日は大変で、週末になるとほっとするくらいです。

じゃあ何でこんなしんどいことを好きでやっているか。それは

・前の会社で得た知識やノウハウ、他の会社でも通用したならそれは本物。通用しなかったら偽物。それを確認したい

・いくつになっても何らかの形で社会に役立ちたい

からなんでしょうね。

そんなわけで、定年になっても模型作りに割ける時間はあまり増えませんでした。ちょっと残念なところもありますが、ジェットコースターに乗っているような毎日はとても刺激的です。

 



「模型電動士」は20歳になりました ・・・
20/12/22

私がこのサイトをインターネット上にアップしたのは2000年12月22日。今日が二十歳の誕生日です。振り返ればあっという間の20年でした。

これまで何度か書いていますが、私がこのサイトを始めたきっかけとその後の流れはこうなります。

〇 2000年当時、多くの企業が自社WEBサイトを持つようになっていた。私が勤めている会社でも総務がホームページを作っていたが、必要最低限の情報しか載せていないように思えたので
「もうちょっと力をいれたら?」
と言ったら
「じゃあお前が作れ」
と跳ね返ってきた。

〇 パソコンやインターネットには詳しくなかったものの、仕方ないので独学で勉強して3ヶ月くらいで何とか公開にこぎつけた。その過程で
「インターネットって面白いな。自分でもホームページを持ってみたいな」
と思うようになり、パソコンを買って作り始めた。
テーマは当時楽しんでいたラジコンカーをメインにした。サイトを持つことでラジコンに関する情報が集まり、その趣味をもっと楽しめるようになるだろうと考えたからだった。
(サイト名を「模型電動士」にしたのはそのため)

〇 ただしラジコンだけでは内容が不足と考え、子供の頃に楽しんでいたプラモの思い出話も加えてみた。公開後、ラジコンのページにはそれほど反響はなかったが、プラモ自分史には喰いつく人が結構いた。それはインターネット上で昭和30年代のプラモ事情を語れる人が少なかったからである。

〇 肝心のラジコン活動だが、子供が小さく、休日ごとにレースだ遠征だなんて言ってると離婚されるので活動は中止せざるを得なくなった。

仕方ないので家でもできるプラモ制作に趣味をシフトして行った。その後はネットで知り合った仲間とオフ会をしたり、一緒に展示会に出るようになり現在に至 っている・・・。

20年の間に辛いことがなかったわけではありませんが、楽しいことの方がはるかに勝っています。あの時
「ホームページを作ってみようか」
と思いついた自分に”大正解だったよ”と伝えたい。

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さて、これまでの20年は良いとして問題は今後です。いつかは止めざるを得ない時も来るのでしょうが、タイムリミットまでどうやって楽しむかが問題。
今考えていることを再整理するとこうなります。

・出戻りを考えている人や定年間近の人の道標になりたい

私より年上でもバリバリ模型を作っている人は沢山いるんでしょうが、ネットで精力的に情報を発信している人は多くない。おそらく私はネット上では長老で、40代50代の人にとって
「将来はあんな風になりたい」
あるいは逆に
「ああまでは落ちぶれたくない」
と思う存在かもしれません。

特に出戻りの人に対しては、自分自身が20年前にプラモに出戻って何とかここまで来た経験をお伝え出来ますから、何らかの支援もできそうです。

また定年間近の人に対しては、
「定年になってから好きなことを再開しても残された時間は長くないよ。仕事をしている間にスタートした方がいいよ」
と言いたい。
自分自身、去年定年になってから20年間の助走期間があって良かったと痛感しています。

・面倒くさいことから逃げないようにしたい

歳を取ると新しいことや面倒なことにチャレンジする気力や体力がなくなってしまう可能性があります。また人生の経験値が高いほど、新しいことや自分では理解できないことに対する拒否反応が増す傾向があるようです。ある意味仕方ないのでしょうが、それに精一杯抗いたいと思います。

模型工作で言えば、慣れたジャンルにとどまるのではなく、今までやらなかった分野、面倒そうだと思って逃げていた分野、いつかはやりたいと思っていても手をつけていなかった分野などにも億劫がらずにチャレンジしたい。

最近の例では

動く道路

イターラ改造

1/43スケールのホワイトメタル&レジンキット

などがそれにあたります。これらを作るにはとてもエネルギーが必要なんですが、やればやっただけのリターンが感じられます。

てなわけで、これからも体力・気力が続く限り模型作りにいそしんでいきます。皆様のご支援、宜しくお願いいたします。

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なお、画像は開設してから1年ほど経った頃のトップページ。まだラジコンメインかプラモメインかわからない感じですね。




国から「ジジイ」と認定されました ・・・
19/3/15

本日ついに65歳になりました。
 
人生の節目と言えば、私の場合

誕生、小・中・高校入学、大学受験、就職、結婚、子供の誕生、定年

あたりかと思うので、今回の定年(&年金受給開始)は重要なイベントに間違いないでしょう。感無量です。

(正確に言うと完全に会社を離れるのは6月の予定。「老齢厚生年金」がもらえるのはそれ以降になります)

 

 

 

 

 

 

 

先日、生まれて初めて年金事務所に行きましたが、対応が丁寧なのにはちょっとびっくり。 年金の仕組みは結構複雑ですから、かなりの高齢者も多く来られる中、職員の方も大変なんでしょうね。

年金をもらうことには若干の屈辱感があります。今まで何十年も給料から天引きされていたから堂々ともらえばいいんでしょうが、なぜか居心地が悪い。それがなければ生活はたちまち破綻してしまいますから、もらわないって選択肢はないんですけどね。

じゃあ何が面白くないかと言えば、要するに

「今日からお前は晴れてジジイの仲間入り」

と公式認定されたことです。書類に「老齢基礎年金」とか「老齢厚生年金」とか書いてあるだけでむかつきます。

じゃあ私はどう呼ばれたいのか。若い方から順番に

ヤングミドルシニアシルバー高齢者お年寄り≒老人

と書けば、

ギリギリシニアは許すがシルバーにはやや抵抗あり

辺りが今の自分の感覚。



そうは言っても、いつも行っているスーパーの

「シルバーズデー会員」になると木曜日の買い物が5%オフ。満65歳以上から入会可能

には近々申し込むでしょう、悔しいのう悔しいのう。


何れにせよそっちのゾーンに入ったことは認めざるを得ませんが、少なくともこんな心がけで生きていたいと思っています。

〇若い奴は偉いと思うようにする

〇自分は正しいと思わないようにする ※

〇自分に理解できないものにはむしろ価値があると思うようにする

ただこれがなかなか難しい。ジジイには経験値がありますから、つい

「俺はこれだけのことをしてきたんだぞ。だから敬え、頼りにしろ

と言ってしまいがち。

でも年寄りの実力は大抵若い人に叶いません。また自分自身で考えても若い頃の知識は今の同年代のレベルではないと思う。仕事でも趣味でもスポーツでも、先人が苦労して身につけてきたものをベースに、若い人がそれを乗り越えるから進歩があると思っています。



それに対して昔・・・例えば江戸時代までの世の中の進歩は今ほどじゃないから、いわゆる「長老」の知恵が若い人たちに頼られるなんてことは今よりあったかもしれませんね。

そんな長老のイメージで思い出すのは「七人の侍」で儀作(ぎさく)を演じていた高堂国典さんです。

儀作は村の離れの水車小屋に住み、百姓たちから「じさま(爺様)」と慕われていました。
野武士の襲来が予想される中、村人から知恵を貸してくれと言われ侍を雇うことを提案します。それはかつて侍を雇って野武士を退けた村があったことを知っていたからでした。

結局彼は野武士との戦いの中で死んでしまうのですが、そんな生き様がかっこいいです。

なお高堂国典さんは最初のゴジラでは大戸島の長老役で出ていて、(確か)ゴジラに家ごとつぶされています。

 

 

 

 

 


このように昔は頼りにされていたジジイですが、今は存在価値はないのか、世の中から消える方が良いのかって話になるかとそれも悔しい。経験値を頼られることがあれば喜んで提供するけど、頼まれもしないのに口出ししないように・・・というスタンスで生きるのが、若い人とうまくやっていくコツかもしれません。

ただこれがちゃんとできるかどうかはわかりませんが。

何れにせよ、年金生活者になって会社に行かなくなったら心の持ち方はどうなるか、時間の余裕はこれまで以上に模型作りに割くことができるのか・・などは逐次報告します。これから定年を迎える人たちの参考になればと思います。

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※ 「自分は正しいと思わないようにする」で思い出すのは、次のアメリカンジョークです。

「あなた! ニュースで見たんだけど、1台の車が猛スピードで高速を逆走中ですって! 気をつけてね」

「今電話なんかしてくるな! こっちは次々やってくる逆走車をよけながら運転してるんだ!」

 



趣味は大事だ」って百回でも言います
・・・19/3/8
吉野家の「うまい・やすい・はやい」ですが、あの業態の価値感をすっきり説明できる見事なキャッチフレーズだなあと思います。

また、
 
うまい ・・・ 品質が良い、機能が豊富、サービスが上質
やすい ・・・ 価格が割安、コストが安い
はやい ・・・ 欲しい時にいつでもすぐ手に入る


などと置き換えると汎用性が高くなります。例えば事業を拡大したい、シェアを上げたいなどと考えた時、どこでライバルを凌駕するか・・・を考えるヒントになりますね。

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頭が整理される言葉のセットは様々ありますが、その中でも

ものごとは 「やりたいこと」 「やるべきこと」 「できること」 の三つから成り立っている

はとても良くできていて、時々こんな図を見ながらぼーっと考えることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



例えば仕事。

毎朝
「わーい今日も会社に行けるぞ、嬉しいな楽しいな」
と思って家を出る人は多くないでしょう。特に若い人ほどそうなんじゃないか。

それは彼らに求められるのが「やるべきこと」に偏っているから。

まあどの会社も「やるべきこと(≒社会に求められていること)」を満たしているから存続しているわけですが、もしやりたくもないのに無理強いさせられている状態が続くと精神衛生上よろしくない。

それでも経験を積んで「できること」が増えてくるとずいぶん良くなるでしょう。できるようになれば自分も嬉しいし他人にも褒められますから。

また何年もやっているうちに使命感や意義に目覚めて「やりたいこと」につながる場合もある。そうなるとニコニコマークの領域に入れます。そこを目指したいものです。

 


 
一方趣味はどうなんでしょう。

明らかに趣味は「やりたいこと」からのスタート。そしてできるようになると益々楽しくなるし長続きする。特にスポーツはそうですし、模型作りも。

ただしそれが「やるべきこと(≒社会に求められていること)」なのかは微妙。趣味が高じて仕事になる人もいますが、それは趣味の成果に金を出してもよいと考える人がついた幸運な例。

とは言ってもニコニコマークの領域を理想とするなら、自分の趣味が他人に喜ばれているかに意識を向けても損はないかと思います。私なぞはその傾向が強く、それが長く続けていられる要因の一つだと思っています。

 

 

 



こんな風に考えていきながら最近は

「仕事と趣味、出発地点は異なるものの目指す頂は同じなんじゃないか」

とか

 「二つを重ねると足りない部分のピースが埋まるんじゃないか」

と思うようになっています。やっぱり人にとって趣味は大事ってことです。



ちなみに仕事以外の時間の過し方として「レジャー・遊興」もあります。例えば遊園地・パチンコ・食べ歩き・旅行・キャバクラ通い 。

これらは明らかに「やりたいこと(≒楽しいからやりたい)」を満足するための行動ですから、心のバランスを取るために必要でしょうが、趣味ほどは「できること」を重視していないところに違いを感じます。

例えば40〜50代のおっさんで、仕事バランスが
「やりたいこと=1」「やるべきこと=5」「できること=4」
みたいな人はきれいなお姉さんのいる店に行けば、ある程度は足りない部分が埋まる。

一方若い人が
「やりたいこと=1」「やるべきこと=7」:「できること=2」
だった場合、仕事以外で「できること」も埋めていった方が良いのでは?と感じます。


・スポーツ、楽器演奏、イラスト →練習が重要
・ゲーム攻略 →レベルが上がれば嬉しい
・おたく趣味 →極めるには情報収集や資金、エネルギー投資が必要


などはどちらかと言えば中高年よりも若者に好まれる傾向にあると思いますが、それはもしかしたら「できること」要素が強いからじゃないかと考えています。
逆に言えば、中高年でこういう趣味にうつつを抜かしている人は成長意欲がある、つまり結構心が若いんじゃないかなんてね。模型工作もこれらの仲間ですし・・・へへへ。

結論ですが、 「レジャー・遊興」にしろ「趣味」にしろ、「やりたいこと」要素の強い何かに時間を使うのは重要 というのが私の信念です。

「いつものように ”プラモを作れ”ってことを切り口を変えて言っただけじゃないか」

と突っ込まれそうですが、はいその通りです。これからも手を変え品を変え同じことを百回でも言い続けると思います。それが私の「やるべきこと」のような気がするので。

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追記:

「良いものを安く提供する」戦略は、ともすると「画一品大量生産・人件費圧縮」に向かってしまいがちです。競争に負けた会社が排除されて働き場所を無くしたり、従業員の給料も上がらない・・・なんてことが続くと社会全体として人が幸せにならない、というのが最近の共通認識になっていると感じます。

最近の吉野家は「ひと」「健康」「テクノロジー」を長期経営ビジョンのキーワードにしていますね。



フリーランス」がちょっと羨ましいお年頃
・・・19/2/15
以下は同僚A(50代後半。課長だが実務もこなす、いわゆるプレイングマネージャー)とだべっていた時の会話です。

私 「俺ももうすぐ65歳、近々会社ともおさらばだ。ところでAは60歳過ぎても定年延長(再雇用)するんだよな?」
A 「そこ、どうしようかと思ってさ。今でも給料分の成果を出していないような気もするんで、さっさと辞めた方が会社のためかなと思う時もある」
私 「延長したなら仕事内容はどうなるの?」
A 「管理職じゃなくなるが、実務の方はこのままだろうね」
私 「だとしたら60前で辞めるのは二重の意味で間違っていると思うぞ。
一つ目は、延長後の給料は今の6〜7割になるんで、今と同じ実務を続けるなら会社はむしろお得だってことだ。
二つ目は、仮にもし若い頃よりパフォーマンスが落ちていたとしても気にするなってことだ。今は給料が安かった頃の貸しを返してもらっていると思えばいい。恥じる必要はないと思う。
ちょこっとグラフを作ってみるから、また後で・・・」

ということで作ったのがこんなグラフです(複雑になるので、退職金は入れていません)。

私 「赤の線は貢献度だ。能力・成績・成果・パフォーマンスとしてもいいかな。俺もお前も新卒でこの会社に入ったが、最初は何もできないから貢献度は低い。
でも知識やスキルを磨いて貢献度を上げていく。ピークは40歳くらいかな。そして実務能力は徐々に落ちていく。ただし役職者は別だけどね。
一方青い線は給料だ。こっちは50代前半あたりにピークがある。
そう考えると若い時期は本人が損、45歳以降は会社が損ってことになり、全体で帳尻が合う。
少なくとも60歳前に辞めたら損してた分を回収できないぞ」

A 「何か気持ちが少し楽になった」

彼との会話はここまでですが、あらためてこのグラフを見ると不思議です。
本来給料と貢献度(成果)は一致させるべきなのに、なぜずれるのか。 それはこれまでのサラリーマン(正社員)の多くが終身雇用で、会社は下のような価値観で社員を働かせていたから。

・会社が儲かるには優秀な従業員を集めて時間をかけて育て、辞めさせないことが大事だよね
・優秀な人を集めるには初任給を高くしなくては。だから新卒のひよっこにもちゃんと給料は出すよ
・しばらくするとバリバリ働いてくれるようになるけど、独身だったり子供がいない期間はあまり給料上げなくてもいいよね
・でも結婚して子供が産まれ、ローンを抱え、そして子供が大学に行くと大変だよね。だからその時期に給料が高くなるようにしてあ・げ・る
・結婚したら手当も色々出すから、奥さんは仕事を辞めて家事や子育てに頑張ってね
・でもどんなに優秀だった人も決められた年齢になったら辞めてもらうよ。退職金・厚生年金があるから大丈夫だよね

ではこういう昭和的価値感がなぜ作られたのか。色々調べてみると、それには明治以降の富国強兵策が深く関わっていたようです。
(人事・評価・給与制度の歴史はものすごく複雑ですが、ここでは乱暴に説明します)

・開国したはいいけど海外列強に追いつくには富国強兵だ! 武器・弾薬・軍艦を自前で作れるようにならなくては。それには熟練工の育成が肝だ
・でも腕の良い工員は引く手あまただから給料のいい工廠にすぐ転職してしまう。そうだ! 5年・10年・15年いてくれたら都度お祝い金をあげるようにして、なるべく長くいてもらうようにしよう(退職金制度の始まり)
・熟練工に安心して働いてもらうには生活の安定保障が大切だ。家族を持ったら手当を出したり、年齢とともに給料が上がる仕組みにすれば喜んで勤めてくれるだろう(いわゆる終身雇用・年功賃金)
・熟練工は大事だけど、流石に歳を取ると体が衰えて事故が増えるんだよね。でも本人はまだまだと思っている。そうだ!年齢で線引きして強制的に辞めてもらおう(定年制度の始まり)

こんな風に仕組みを作り、事務職にも適用範囲を広げていったことが賃金と成果とのずれの理由と考えます。

この仕組みは本来不自然。他人に何かしてもらって謝礼を払うとしたら、それは成果物の価値に見合ったものでなければ納得性がありません。でも多くの会社はそうなっていない。

だから若い世代から見れば「稼がないおっさん」がのさばっているのが不満の種でしょうし、逆におっさん達は
「今の若い者はなってない。俺達がお前らの年の頃は安月給でもバリバリ死ぬ気で働いていた」
と言うのかもしれません。

でも過去の自慢話をしてもしょうがない。
「今の俺はお前らの何倍も会社に利益をもたらしている。給料が高いのは当然だ」
と言えるくらいでなくては納得してもらえないでしょう。では自信を持ってそう言える人がどれくらいいるでしょう。

一方世の中には自力で稼いでいる人、例えば経営者・自営・専業農家・士業・開業医・職人・フリーランス等々・・・もたくさんいます。彼らの稼ぎは実力と運次第。そして成果に値段がつくなら体が続くかぎり仕事ができます。

「いやいや、仕事が続けられるんじゃなくて続けないと暮らしてゆけないんだよ。退職金はないし年金も心もとないんだから」
と切り返されたら反論できませんが、私も定年間近のせいか、これを羨ましいと思うところもあります。

餌を与えられ外敵から守られていても最後は食べられてしまうブタ(サラリーマン=社畜)と、自由に生きられるが生きぬくことそのものが難しいイノシシ(フリーランス)のどちらが幸せか・・・とか考えてしまうんですね、つい。

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ところで私がこのサイトを始めてから18年経ちます。スタートした40代半ばの頃と現在を比べ、パフォーマンスがどうなのかが気になります。

最初の頃は年に5〜6台は平気で完成させていたのに、最近は静岡の展示会に新作2〜3台を持ってゆくのが精一杯だから・・・。
でも最近は面倒な1/12を作ることも多いしな〜。

そこで「1/24の素組み&普通の反応」を1ポイント、「1/12大改造で大うけ」を5ポイントというように投入した手間や時間、そして反響を脳内で数値化し、毎年どのくらいポイントを稼いだか自己評価してみました(フィギュアや小物も考慮)

結果はこんな感じ。作品数は下がっていますがパフォーマンスは落ちていない・・・こちらの世界では何とか現役ですと言えるようです。

 

 



ここらで人生棚卸し
・・・18/9/21

このページをどんな人たちが見ているのか・・・。中心層は「40〜50代のおっさん」でまず間違いないでしょう。
そう、あなたのことです。

そうなると人生の先輩としてできることは、あなたを刺激し、時には脅しをかけること。 
しばらく前に
「定年後に趣味を再開しても間に合わない。目の前の積みプラには今すぐ手をつけよう」
と書いたのも「40〜50代のおっさん」への脅しでした。

今回はその第二段みたいなもの。定年まで1年を切り、退職後の時間の使い方に興味が向きつつある中、

  ・そもそも自分はどういう時に幸せを感じる性質(たち)なのか
   
  ・何十年か仕事をしてきたが、やってきたことに悔いはなかったのか

について真面目に考えてみました。参考になれば幸いです。

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その1:自分自身の「強み」を確認しました

「強み」には生まれつきの部分も多く、それを活かせる仕事・趣味は成果や幸せにもつながりやすい。

そこで「ストレングス・ファインダー」という手法で自己分析してみました。

 

 

 

 



私の「強み(の種)、上位5項目」はこうなりました。




  ・学習欲・・・「もっと知識を深めたい」「スキルを磨きたい」と思ってる
  ・目標志向・・「私はどこに向かっているのか?」をいつも考えている
  ・最上志向・・「もっと上手くできないか?」「これが自身のマックスか?」と繰り返し自問している
  ・未来志向・・「もし○○だったらきっと素晴らしいのでは?」と未来を見つめ色々なことを空想している
  ・コミュニケーション・・何かを描写したり、人に説明することが好き


結果に違和感はありません。ぼやーっと感じていた部分がクリアになった感じです。この種を今後も大事に育てれば美味しい実がなる可能性があります。


その2:生まれてから今までの興味と仕事を総括しました

こんな表を作ってみました。

子供の頃の興味は誰かに強制されたものではなく、自分からやりたいと思ったもの。私の場合は子供時代と今が大体つながっています。例えばこのサイトは主に「模型を作る」「写真を撮る」「文章を書く」作業からできていますが、写真も作文も子供の頃から好きでしたので苦でもなんでもない。


一方、仕事に関してはやや微妙なところもあります。

機械工学を学び、開発要員としてメーカーに入り、数年間は実験や設計もやってましたが、同時に、

「電動士君、新製品の分解組み立てマニュアルのイラスト描けるか?」
(要するにプラモの組立説明書みたいなもんだな)習ったことないけどやってみます」

で、当時描いたのがこれ。40年ほど前ですから烏口(からすぐち)とかロットリングを使ったアナログ作業。
 


 

次はマンガ。

「電動士君、マンガ描けるか? 取扱説明書なんだが」
「ちょっと見せてください。ぬひゃひゃひゃ。何これ股間にフラワーだれが描いたんですか」
「印刷会社にやってもらってた。で、描けるか?」
「”私なり”で良ければ」

結果はこんな感じ。今見ると冷や汗ものですけど。

そんなことしているうちに「技術わかる奴が販売マニュアルも作れ」 「カタログ作って宣伝文句も考えろ」 「テレビCMもな」 「リリース書いてマスコミ対応もな」と仕事が増え、気づいたら実験や設計にはほとんどタッチしなくなっちゃいました。

「社長、”技術係長”の名刺を出すと怪訝な顔をする新聞記者がいるんですよ」
「確かにそうだな。じゃあ広報部門を作ってやる。名前は広報課、広報室のどっちがいい?」
「広報室の方がかっこいいですね」
「あとな、製品の見た目や色も売れ行きに影響するから、製品デザインもな」

・・・・・

ただ、入社して何年か経った頃、大学の同窓会での教授(別の研究室)とのやり取りは、いまだに心のしこりとして残っています。

「で、今何やってる?」
「大体こんなことやってます」

「何のために機械工学を勉強したんだ」(←ここ、結構辛かった)

もし開発部門で研究や実験、あるいは設計を続けていれば、それはそれで面白かったんだろうけど、当時の社員数は100名ちょっと。広報・販促物・デザインなどはほとんど外注していた中、「何かできそうな奴が入ってきた、これ幸い」となったのは自然の流れだったのでしょう。
”仕事に関してはやや微妙”ってのはそういうことです。

ただ今回色々まとめてみると、自分の資質は純粋にモノづくりすることより、その商品が売れている姿をイメージしたりお客に商品の良さを伝えることに向いているらしい。 だから自分の40年のキャリアも悪くなかった・・・と信じることにしました(ここ重要)。

趣味に戻りますが、時々
 「こんなホームページは辞めてしまい、日々黙々と模型を作ればもっと手の込んだ作品が生み出せ、そっちの方が面白いんじゃないか」
と思う時があるんですよ。おそらくそれは「最上志向」「コミュニケーション」のせめぎ合い。でも総合的には「コミュニケーション」が勝っていると思うのでこのサイトも続けて行くでしょうね。

何れにせよ「未来志向」「目標志向」も持っている私は”暇を持て余す退職者”にはならなくて済みそうです。ありがたやありがたや。

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40〜50代のおっさんへのアドバイス

・「ストレングス・ファインダー」については非常に簡単に書いています。もし興味があれば何冊か本を読み、自己診断してみることを推奨します
・今これと言った趣味がない人も、子供の頃を思い出すことで今後飽きずに続けられる趣味を再発見できるかもしれません






“目標達成で万歳三唱”・・・なんてことはなかった
・・・18/3/27

長男が大学を無事卒業し、4月から東京で働き始めます。
逆に私の方はあと一年で定年。長かった勤め人生活ともおさらばの予定です。

新卒で入社して(正確に言えば「会社に拾われて」)からの40年を振り返れば、思い出は限りなくあります。

例えば
・開発や販促に深く関わった製品が大手価格比較サイトの「プロダクト・アワード」で金賞をいただいた
とか
・工業デザイナーと組んで斬新なデザインの商品を開発したところ売れ行き好調、会社の利益アップにも貢献できた

などは純粋に嬉しい記憶ですが、
 
・女性タレントを使ったエロかわいいCMが話題になった。感想も多数寄せられたが三分の一は苦情だった
とか
・製品に関する長文の質問(800字くらい)が寄せられた。こっちも本気になって技術的解説を3000字ほど返信したところ、某巨大掲示板に全文転載された(予想はしていた)。ただし「会社の中の人グッジョブ!」と添えられていた


となると、上手くいったのかしくじったのか良くわかりません。

いずれにせよ何かが上手くいった時は自分の中で小さく万歳するわけですが、40年仕事しててもこんな(↓)池井戸潤さん原作のドラマのようなシーンはなかったですね。


そもそも

「絶望的な状況が劇的に好転し、みんなで万々歳」

なんてシーンが生まれるのは、大抵は経営者が無能だったり当初の戦略が甘かったり社員に無理強いしていたからでしょう。だからそんな状況にならないに越したことはない。

そういう意味では小さな万歳を積み重ねながら「ああ今年も利益が出たね。みんなの給料も上がるね」とほっとする・・・そんな感じで40年過せたのは幸せだったような気がします。

でも私の世代はまだ良かったんですよ。経済も成長し人口も増えていく時代は自然と売上も給料も上がる場合が多かった。でもこれからの40年はそうはいかない。ではどうするか・・・ですね。

長男とはこの一年位、よくそんな話をしました。 勤める会社は彼が自分で決めましたが、間違いなく40年後も必要とされている業種。その意味で彼の判断を尊重したいと思います。後はその職場で頑張るだけです。


※上のイラストですが、長男に「発注」したものです。卒業旅行、引越し準備などで手元不如意な状況を知っていましたから、話を持ちかけたら喜んで受けてくれました。大した金額じゃないですけど卒業祝いの一つです。