「“目標達成で万歳三唱”・・・なんてことはなかった」 ・・・18/3/27

長男が大学を無事卒業し、4月から東京で働き始めます。
逆に私の方はあと一年で定年。長かった勤め人生活ともおさらばの予定です。

新卒で入社して(正確に言えば「会社に拾われて」)からの40年を振り返れば、思い出は限りなくあります。

例えば
・開発や販促に深く関わった製品が大手価格比較サイトの「プロダクト・アワード」で金賞をいただいた
とか
・工業デザイナーと組んで斬新なデザインの商品を開発したところ売れ行き好調、会社の利益アップにも貢献できた

などは純粋に嬉しい記憶ですが、
 
・女性タレントを使ったエロかわいいCMが話題になった。感想も多数寄せられたが三分の一は苦情だった
とか
・製品に関する長文の質問(800字くらい)が寄せられた。こっちも本気になって技術的解説を3000字ほど返信したところ、某巨大掲示板に全文転載された(予想はしていた)。ただし「会社の中の人グッジョブ!」と添えられていた


となると、上手くいったのかしくじったのか良くわかりません。

いずれにせよ何かが上手くいった時は自分の中で小さく万歳するわけですが、40年仕事しててもこんな(↓)池井戸潤さん原作のドラマのようなシーンはなかったですね。


そもそも

「絶望的な状況が劇的に好転し、みんなで万々歳」

なんてシーンが生まれるのは、大抵は経営者が無能だったり当初の戦略が甘かったり社員に無理強いしていたからでしょう。だからそんな状況にならないに越したことはない。

そういう意味では小さな万歳を積み重ねながら「ああ今年も利益が出たね。みんなの給料も上がるね」とほっとする・・・そんな感じで40年過せたのは幸せだったような気がします。

でも私の世代はまだ良かったんですよ。経済も成長し人口も増えていく時代は自然と売上も給料も上がる場合が多かった。でもこれからの40年はそうはいかない。ではどうするか・・・ですね。

長男とはこの一年位、よくそんな話をしました。 勤める会社は彼が自分で決めましたが、間違いなく40年後も必要とされている業種。その意味で彼の判断を尊重したいと思います。後はその職場で頑張るだけです。


※上のイラストですが、長男に「発注」したものです。卒業旅行、引越し準備などで手元不如意な状況を知っていましたから、話を持ちかけたら喜んで受けてくれました。大した金額じゃないですけど卒業祝いの一つです。


「温度、湿度、確認大実験
」・・・18/1/30

今年の冬は例年にない寒さ。東京でも降った雪がなかなか溶けなかったり最低気温がずっとマイナスだったりして大変そうです。
こちら新潟は雪には慣れてますが、夜の間にどかっと降ると道路の除雪が間に合わなくて朝は大騒ぎですし、気温も例年より低いので水道の凍結防止にも気を遣います。もちろん暖房機器はフル稼働です。

以下は正月に戻ってきて自室でごろごろしていた子供達との会話です。

「部屋ちゃんと温めてる? ファンヒーターの設定は17℃か、寒くないのか?」
 

「これでも暑いくらいだよ」
 

「流石に若いな。ところで二人ともアパートじゃエアコン何℃にしてる?」
(←燃焼系暖房機禁止のため)
 
「24℃くらいかなぁ。それでもなかなか温まらないけど」
 

「エアコンだとそんなもんだろうな。ところで何で設定温度が7℃も違うのか説明できるか?」
 

「むむっ、んー」
 

「PMVって物差しだと、快適性は気温・湿度・風速・熱放射・着衣量・運動量の6つを考慮することになってるんだけど、エアコンで暖房するとファンヒーターより湿度が下がるし、暖かい空気を吹き降ろすから風速も高くなって不利になる。
 
また天井付近はどうしても床より温度が高くなるから、エアコンのセンサーが24℃でも人のいる場所はそれより低いだろう。
そんなこともあってエアコンの24℃とファンヒーターの17℃がだいたい同じ感覚になるんだろうな」
 

「へー」

 

話はそこで終わりましたが、言ったことには裏付けが欲しいので、その後何日かかけて以下の実験を行いました。

右は二人がごろごろしていた部屋です。もともとは次男の勉強部屋。

 

 

 
エアコンの低温暖房能力(外気温2℃の時の暖房能力)は2.6kW。

そこでファンヒーターは部屋にあった3.7kWタイプではなく、脱衣場で使っている2.5kWタイプを持ってきます。

 

 
温度と湿度測定には市販の乾球計を使います。安いデジタル式よりもはるかに信用できますので。

乾球計はエアコンやファンヒーターの温風が直接あたらない場所に置きます。

三脚にセットしたカメラでズーム撮影し、0.1℃単位まで読み取ります。

 

 
「Sprungの公式」から湿度を計算します。
 
予備実験により、エアコンを24℃に、ファンヒーターを20℃に設定した時にどちらも室温が21℃程度になることが見えていましたので、そのように設定します。
 
結果はこうなりました。おおむね予想していた通りですが、湿度はもう少し下がると思っていました。

 
湿度に10%の差があります。計算式(「ミスナールの式改良版」)に入れてみると体感的にはファンヒーターの方が0.5℃ほど暖かく感じるはずです。

あ、もしかしたら
「どうして湿度に差が出るの?」
とか
「そもそも部屋が暖まるとなんで湿度が下がるの?」
とか思っている人、いますか?

 
ファンヒーターで湿度が下がりにくいのは、化石燃料が燃えると水蒸気を発生するからです。 図はアルカンの中で最も単純なメタンの例ですが、燃えると水蒸気が出ることがわかります。
 
都市ガス・プロパンガス・そして灯油も中味はほとんど水素と炭素ですから、同じようなことが起きます。

室温が上がると湿度が下がる理由は、飽和水蒸気圧(中学の時に習った)で説明できますが、・・・あ、もうすでに脱落しかかっている人もいるようなのでやめておきますね。

 

 
今回の実験をまとめます。 得られた結果は
・エアコンを24℃に、ファンヒーターを20℃に設定した時に、部屋の温度はどちらも21.5℃程度になった
・エアコン暖房の湿度は50%、ファンヒーターでは60%だった(計算では体感温度で0.5℃違う)

でしたが、実際に部屋に入ってみると、エアコンで暖房している部屋は微妙に肌寒く、ファンヒーターは逆にちょっと暑いくらい。もう2℃ほど下げてもかまわないのではないかと思いました。
 
その差はおそらく風のせい。今回は風速計まで使わなかったので正確なことは言えませんが、もし風速が0.4m/s違うとなると、体感温度は計算上2℃ほど変わります。
 
以上により子供達との会話の疑問はおおむね説明できました。めでたしめでたし。
 
一通りやってみてあらためて感じたのは新潟の湿度の高さです。エアコンで暖房しても50%ですから。

でもこれが関東地区ですと外はもっと乾燥しているので暖房時の湿度は20%を切ってもおかしくありません。このレベルに下がると肌が乾燥したり、のどが荒れてインフルエンザにかかりやすくなったりします。

エアコンや床暖房などで部屋を暖めているなら、加湿器などでなるべく部屋の湿度を高めると良いと思います。体感温度も上がりますし。

寒さはまだしばらく続くようです。どうか体調を崩さずに、この冬を乗り切ってください。


西郷どんと陸軍分列行進曲」・・・18/1/11
「西郷どん」が始まりました。
NHKの大河ドラマは一昨年の「真田丸」は最後まで面白く見たのですが、去年の「おんな城主 直虎」は10回ほどでギブアップ。 奥さんは逆パターンでしたので、これは好みの問題でしょう。
「西郷どん」がどうなるかはまだわかりません。

今日は「西郷どん」に絡み、陸軍分列行進曲の話でもしようと思います。

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普段私達が聞いている音楽のほとんどは洋楽(乱暴に言えば五線譜で表される音楽だと思いますが、日本に洋楽がまともに入って来たのは明治維新前後から。

当時の日本は植民地化を防ぐためにも富国強兵に努めなくてはなりませんでした。軍隊の近代化も求められ、兵器調達はもとより西洋式用兵術の習得が急務でした。

それまでの戦(いくさ)は言わば「個人戦(一騎打ち)」。

「やあやあ我こそは何処何処の何某」

の世界だったのが、近代戦では指揮官が兵士を組織のユニットとして動かす「団体戦」が求められます。
そのために大事なのが機動、すなわち「行進」です。

江戸時代の日本には行進という概念はなかったはずです。あったのは「行列」。
(”大名行進”、”花魁行進”とは言わないものね。花魁が行進したら怖い)

歩速をそろえて移動するには行進曲が必要になります。そこでお雇い外国人に軍楽隊の訓練をしてもらったり日本独自の行進曲を作ってもらうわけですが、最初はとにかく上手くいかなかったらしいです。
何しろ行進したことのない民族だったから。

また西洋音楽はリズム、メロディー、ハーモニー、強弱、テンポなどの要素から成り立っていますが、邦楽ではメロディー以外はあんまり重視されていたとも思えないので、いきなり♩=116〜120とか言われても困っただろうな。

それでも何だかんだでスキルは上達していきます。

では日本で最初の行進曲は何かと調べていくと、どうもそれは明治19年にシャルル・ルルー(フランス陸軍軍楽隊長)が作った陸軍分列行進曲だと思われます。
この曲は現在でも陸上自衛隊と警視庁機動隊の公式行進曲になっていますね (ちなみに軍艦行進曲は明治33年だからずっと後)。

すごいなと思うのは、この曲のもとがルルーの作った軍歌「抜刀隊(明治18年)」で、西南戦争がテーマだってこと。

「抜刀隊」を簡単に説明するとこうなります。

・明治10年2月、西南戦争勃発
・田原坂の戦い(3月)で白兵戦発生。薩摩士族の抜刀斬り込み作戦で新政府軍に大被害
・それに対抗するため、警視隊の中から特に剣術に秀でた者を選抜し「抜刀隊」を臨時編成
・彼らの活躍もあって田原坂制圧
・9月、城山決戦で西郷隆盛自刃

ちなみに抜刀隊には元会津藩士も多数志願して戊辰戦争の恨みを晴らしたって話もあるけど、実際はそうでもないらしいです。

軍歌「抜刀隊」の一番の歌詞はおおむね

「敵の大将は西郷隆盛っていうすっげー英雄なんだけど、今回の戦いの義は政府軍側にあって相手は賊軍だから自信を持って戦え」

てな感じになっています。

だから観閲式などであの曲を流しながら陸上自衛隊が行進している様子を見ると

「薩摩の人、不愉快に思わないのかな」

とか

「そもそも西南戦争で地元のカリスマ、西郷隆盛が死んだことについて、鹿児島の人は今でも新政府に恨みみたいなものを持っているのかな」

などが気になったりしていました。 その疑問をずっと抱いていたので、2009年に鹿児島に行った時に地元の人に聞いてみたことがありますが、皆さんの答えは大体こんな感じでしたよ。

「そんなこと思ってませんよ。大久保はんもいますし」

何れにせよ「西郷どん」にはこれから有名どころも多数出てくるだろうし、一年間面白く続いてくれればと思ってます。そして鈴木亮平の代表作になってほしい。今の所まだ私の中では「変態仮面」なんで・・・。

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追記:

以下はYouYubeへの直接リンクなので、しばらくしたら消すかもしれませんが、「抜刀隊」や「分列行進曲」を知らない人のために。

二番までの歌詞を知りたい人に

最近の陸上自衛隊

警視庁機動隊  抜刀隊の成り立ちから言えばこっちが本家

当時の録音・録画と思われるもの  今まで聴いた分列行進曲の中で一番凄味があった



決死のアタック!戦略突撃大作戦(そんなタイトルの映画ないです)」・・・17/12/30
下宿している子供たちが正月休みで戻ってきました。ぐだぐだと過ごしている二人の会話を聞いていたら

捨て艦戦法はモラル的にどーのこーの”

なんて話をしています。

「へー、”戦法”なんて言葉、久しぶりに聞いたな。将棋以外だと、啄木鳥戦法、デスラー戦法・・・。あと何かあるかな」

などとやりとりしたんですが、それをきっかけに以下を。

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この記事が販売の援護射撃になった
ターゲット(標的)は女性客
ご当地ラーメンの激戦区、新潟

どれも日常耳にする言い回しですが、もとは軍事用語です。
同業他社や競合店は互いに切磋琢磨するライバルですが、同時に倒したい敵でもあります。だから軍事用語はビジネスと親和性が高いのでしょう。

もう少し言葉を拾ってみます。こちらは主に現場(戦場)をイメージさせます。

目標達成も射程圏内
商品の弾数(たまかず)は十分か?
当社の営業部隊
全社員を動員して
売れなければこのエリアから撤退するしかない
彼は即戦力になる
部品は現地調達できるの?
ライバルメーカーを狙い撃ち

一方、いわゆる計画段階で使われる言葉だとこれら。

販売戦略を立てる
作戦会議を開こう
人海戦術でチラシを入れる
持久戦法で相手の息切れを待とう

戦略・作戦・戦術・戦法 などは
「ちょっと偏差値が高そうな感じがする〜」
「大掛かりなプロジェクトに参加しているような気がする〜」
ので好んで使われるのかもしれません。

「ミッション・インポッシブル(Mission:Impossible)」って映画があります。ご存知のようにあのシリーズは1967年〜1973年のテレビドラマ「スパイ大作戦」のリメイク。

「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで」

ってやつですね。

中学生〜高校生だった私も夢中になって見ていましたが、当時は原題が「Mission:Impossible」だったなんて意識していませんでした。

「Mission:Impossible」を訳すと「実行不可能な指令」になります。
ではあのドラマが当時、原題のままの「ミッション・インポッシブル」あるいは直訳に近い「不可能指令」のタイトルで放送されていたら、と思うと「スパイ大作戦」は上手くつけたもんだなあと思います。

他の映画でも探してみます。 さっきも書いたように「戦略」「作戦」などをつけると何か大作っぽい雰囲気になり、集客も有利になる。 例えばこれらは有名どころ。邦題は原題直訳に比べて見る気にさせてくれるなと感じます。

逆に「それ、苦し紛れでしょ」と思うものもありますね。「原題のままでは映画の内容が全く想像できない」とか、「少しでも興味を持ってもらうために刺激的なタイトルにしたい」などと思ったんじゃないかな。
なお「戦法」がタイトルに入っている映画は捜した限りでは見つかりませんでした。

何れにせよちょっと気になるのが

 戦略 (ストラテジー)
 作戦 (オペレーション)
 戦術・戦法 (タクティクス)
 戦闘 (バトル・コンバット)

の使い分け。 これらは違う概念ですから、バトルを勝手に戦略や作戦にしちゃいけないのよ、ねえ「空軍大戦略(Battle of Britain)」・・・。
でもそんなこと気にしている人ほとんどいないでしょう。若干の違和感を感じながらも「空軍大戦略」はあのすごい映画のタイトルにふさわしかったと思います。

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「ところでお前は 戦略・作戦・戦術・戦法・戦闘 の違いをちゃんと理解して使い分けてるんだよな?」

と言われそうなので、こんなのを作って防衛線を張っておきます。 ちょっと無理筋ながら「サトシの場合」も考えてみました。

・ミッションからコアバリューまでは会社では社是・社訓・行動倫理などに相当します

・ビジョンは中長期経営計画かな

・パーパスは最近良く目にするようになりました。サトシの使命が最強のポケモンマスターだったとしても、それを目指しているポケモントレーナーはたくさんいるはず。その中でサトシが長く主役でいられるのは、彼のパーパスがあの世界の住民や視聴者から支持されているからなんだろうと考えます。かなりこじつけですけど

・戦略〜戦闘は比較的見えやすい部分。特に映画ではアクション・戦闘シーンが大切ですが、今はほとんどCGが入ってるので良くできていて当たり前。ど派手な映像を見せられても「うおー!」っとならないのが逆につまんないですね。
名作と言われる映画はパーパスからビジョンあたりが上手く表現できているものが多いと思います。

年末だってのにしょうもないことばかり考えてるな、俺。


「鉄の男と鋼の男
」・・・17/12/15
テレビでマン・オブ・スティール(Man of Steel)を見ていた奥さんが、いきなり

「ねえ、アイアンマン マン・オブ・スティール ってどう違うの?」

と聞いてきた。

誤解しないように言っておくが、当家は皆アメリカンコミックの実写映画は好きで、ここ1〜2年に限っても「アントマン」 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」 「ワンダーウーマン」などは家族で映画館に見に行っている。
だから奥さんがアイアンマンとスーパーマンを混同しているなんてことはありえない。  

おそらく彼女の質問は

「どっちも ”鉄の男”になると思うが、アイアンとスチールはどう違うのか?」

なんだろうと理解した。

さて、どう答えようかなと思った瞬間、脳内にこのような(→)単語がぶわーっと浮かんできたのだが、とりあえずこう返事した。

「スチールは鋼鉄でいいんじゃないか? 普通は板 にしてから使うよ」

「アイアンは鉄全般のことだけど、あえて言うなら鋳物かな。ゴルフクラブのアイアンもアイロンも鉄の固まりって感じだよね」

「スチールと鋳物のアイアンの主な違いは炭素の含有量なんだ。炭素分の多い鋳鉄は固いけど脆いんだ」

こんな風に話していったら、奥さんの相づちがどんどん興味なさそうになっていく。

最後に

「あえて言えば、アイアンマンが”鉄の男”ならマン・オブ・スティールは”鋼の男(はがねの男)かな」

で締めくくったが、何か疲れた。

 

その日はそれで終わったんだけど、気になったので数日後にもう一度確かめてみた。

「この前、結局何が聞きたかったの?」

「”マン・オブ・スティール”って、真ん中に”オブ”が入るけど、文法上どう訳すのかなと思っただけよ」

そっちかよ!  要するに”スティールマン”じゃないのはなぜかってことか」

「それなのに鉄と鋼の違いなんて説明しだすから疲れちゃった・・・。何年一緒にいても通じないわね

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その後も少し考えてみたが、「マン・オブ・スティール(Man of Steel)」で彼はまだ回りから「スーパーマン」という名前では呼ばれていなかった 。巨大不明生物 → ガッジーラ の流れと似ている。

そう考えれば

・「マン・オブ・スティール」 は 「鋼の肉体を持ったあの男」

・「アイアンマン」 は 「鉄の鎧を纏った男」

と解釈すると、オブが入る/入らないを何となく説明できるような気がするが、本当はどうなんだろう。

 

「オランダ領東インド」・・・17/12/08
小学生の頃、親父が1年ほど海外赴任していた時期(1964年〜65年)がありました。

でも当時は

「インドネシアのスマトラに石油を掘りに行ってるんだって」

程度しか理解していませんでした。

また、戻ってきてから色んな話を聞いたはずなのに

「生まれたばかりの虎をペットに飼い始めたが、1年経ったら手に負えなくなった。虎は猫じゃなかった。
日本に戻る時、運よく動物園に引き取ってもらえたが」

と言ったネタ話ばかりが記憶に残っています。

さて、今日12月8日が何の日かは特にここを見ている人はご存知でしょうが、1941年のあの日、日本軍は真珠湾を攻撃すると同時にマレー半島に上陸しています。いわゆる南方作戦です。

南方作戦の目的の一つは資源の確保。特にオランダ領東インド(ほぼ現在のインドネシア)の石油資源がメインターゲットでした。真珠湾を攻撃したのもアメリカ太平洋艦隊の戦力を削いで南方作戦を妨害させないためです。

で、親父が赴任していた北スマトラの石油事情は、ざっくりとこんな流れになるようです。

  1929年  オランダがラントウ油田を発見
   
  1941年  太平洋戦争勃発
  
  1942年  日本が蘭印作戦でオランダ領東インドを支配。日本本土への石油輸送開始
              (キーワード 「パレンバン空挺作戦」「空の神兵」「加藤隼戦闘隊」など)
     

  1944年  アメリカ潜水艦による通商破壊作戦により石油輸送量激減
  
  1945年  敗戦により日本が蘭印から撤退
  
  1950年  独立戦争を経てインドネシア共和国が誕生
  
  1960年  日本がインドネシアに協力しながら油田施設の復旧と再開発を推進(1974年まで)

こんな風にいくつかの知識が繋がってくると、親父の海外赴任も大きな歴史の中の一つのピースとして考えることができて面白いです。


以下は親父が仕事の合間に描いたスケッチです。結構残っているんですが、意外と暇だったのかな。
時代は違いますが、戦争中、多くの日本人がこんな風景の中で戦ったんだなと思っていただけると嬉しいです。

 
 
宿舎みたいですね。
 
艀(はしけ)です。
 

石油掘削デリック(櫓)。

今はあまり見られないガスフレア(随伴ガスを燃やして爆発事故を防ぐ)が確認できます。

 
一見海のようですが、絵の右下に「Toba」とあるので、「トバ湖」です。
 
こっちもそうですね。

下にある建物の屋根が特徴的ですが、これはトバ湖を故郷とする「バタック人」の住居を模したもののようです。

トバ湖は世界最大のカルデラ湖で、7万4千年前の大噴火では、その後数千年に渡って地球が寒冷化し、人類(ヒト)もあわや全滅しかかったらしいです(トバ事変)。

それをきっかけにヒトは衣服を着るようになったのではないか、そして逆に寒いエリアにも拡がっていけたのではないかとの学説もあって面白いですね。 

もしその大噴火がなければ人は半分裸のまま、今でも温かいエリアにしか住めなかったかもしれない。建築技術や農耕技術もヒトが寒いエリアに進出することで発達したんだろうし・・・なんて考えていくと妄想は尽きないんですが、そういう話、皆さんも好きですか?どうでもいいですかそうですか。

 

 

デザインとアートの間」・・・17/12/01
先日、次男(大学3年)が制作したロールプレイングゲームが「ふりーむ!」に投稿・掲載されました。中味はいわゆる「剣と魔法によるヒロイックアドベンチャー」です。
フィールドの素材や音楽などはフリーに使えるものを借りていますが、彼はマンガが描けるので、主要キャラや数十匹のモンスターは全部自分で描き起こしています。

私もパソコンに落としてやってみましたが「ちゃんと面白い」のでびっくり。 寄せられている感想も「ストーリー性がある」「キャラが魅力的」と高評価です。

制作中の様子は時々覗いていたのですが
「素人が初めて作るゲームだし、おままごとに毛の生えた程度だろう」
と軽く見ていましたわ。

また、例え一つのゲームでも、その中には彼が今まで学んできた知識やスキルだけでなく、価値観・人生観まで反映されていたのは親として新鮮な収穫でした。

公開されて10日ほど経った頃、彼に聞いてみました。

「何人かが感想を書いてるね」
「それはもう、喜びます」
「ダウンロード数は?」
「今の所400くらい」
「もっとたくさんの人にやってもらいたいと思ってる?」
「もちろん。でも自分のツイッター以外に宣伝手段がない」
「お父さんのサイトで紹介したら上乗せできるかもしれないが、親子だってばれるしな。自然に任せ、無理に宣伝しない方がいいと思うよ」
「そう思う」

またその後彼のツイッターを見たら(※)

「俺のゲームをやってくれた人には”時間を無駄にした”とは思われたくなかった。だから後味の悪い終わり方にはしなかった」

とか

「やる人に楽しんでもらうことを優先して、自分が本当に作りたかったものとは違う部分もある」

みたいな事を書いています。

※アドレスは本人が教えてくれました。「時々見に行くこともあるが気にするな。好きなこと書けばいい」と伝えています。

この発言にもちょっと驚きました。その理由は彼の頭の中に「デザイナー思考」を感じたからです。

///////////

私自身の仕事の一つに製品デザインへの関わりがあります。そんなこともあってデザインとは何かを考えることが多い。

デザインと言うと「かっこいい」とか「美しい」ものを考え出す仕事と思っている人もいるかと思いますが、それはデザインのごく一部の要素でしかありません。 なぜなら多くの商業デザインはデザイナーがクライアントから依頼されることで発生するからです。

クライアントはなるべく低いコスト・高い生産性・短い納期でモノを作り、なるべく高い価格で売って儲けたいと思っています。 デザイナーはそれを理解した上で作業を行いますが、デザイナーはもともと「最高のもの」が作りたい生き物ですから、クライアントから出される制約はデザイナーの仕事を邪魔する方向に働きます。 そんな中でも仕事は仕上げなければなりません。だから出来たものはデザイナーが本当にやりたかった姿にはならないのが普通です。

でもクライアントの願いは「良く売れて儲かること」ですから、商品が市場に受け入れられた場合、「デザイナーは良い仕事をした」と言われます。 つまりデザインとは「どうしたら他人に受け入れられるか」を考え、それを多くの人が納得できる形に持って行く行為です。

これと逆の立場にあるのがアートです。

アーティストは
「とにかく俺はこれが表現したいんじゃ!」
と思って自分から動きだすもので、それを他人がどう感じるかは第一義(根本の意義)ではありません。
人がどう感じるかに優劣はないので、アートにも優劣はないはずです。

ただし両者にはっきりとした線引きはありません。 例えば一部の超高級時計や有名なファッションブランド製品などは多くの人を対象としたものではなく、その良さがわかり、使いこなせる一握りの人のために金に糸目をつけず生み出されます。ここまでくるとアートに近くなってくる。

逆もあるでしょう。例えば美術館の中庭に置くオブジェが必要という事で、美術館側がイメージに「ふさわしい」作風を持った芸術家に制作を「依頼」したような場合、それは果たしてアートと言えるのでしょうか。

話を戻しますが、今回のように個人がフリーゲームを作って公開する場合、きっかけは
「とにかく俺はこれが表現したいんじゃ!」
のはず。だから基本的にはアート側からのスタートです。

それが誰からも認められないとしたら寂しいので、ある程度のデザイナー視点は必要ですが、普通個人が趣味で作るものは
「アーティスト視点:デザイナー視点=70:30」
くらいじゃないでしょうか。

でも次男のものは、私が見る限り
「アーティスト視点:デザイナー視点=50:50」
だったんですね。

それが先ほど書いた「驚き」の理由です。

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ちなみに個人がプラモを作ってみんなに見てもらう行為はどうなんでしょう。上の表で水色にしたところが私の判断ですが、こうやって眺めると
「アーティスト視点:デザイナー視点=60:40」
くらいになるのかな。

プラモはもともと「デザイン」された対象物を縮尺して再現するものですし・・・。

 

「定年後じゃ ”間に合わない” かもしれないよ (グサッ)」・・・17/11/02
「趣味の楽しみ方」あるいは「遊び方」には二つの方向性があると思っています。

方向性1:誰かが用意したプラットフォームの上で楽しむ…(一言で言えば「見る・聴く」)
  (例)読書、映画・音楽・スポーツ鑑賞、テレビゲーム、パチンコ・競馬、テーマパーク巡りなど

方向性2:自分から何かを生み出す・作り出す…(一言で言えば「やる」)
 (例)歌う、踊る、楽器演奏、絵画・彫刻の制作、模型作り、漫画描き、書道、各種スポーツ、山登りなど

ジャンルによる線引きではありません。例えば「音楽が趣味」と言っても
 「メディア鑑賞」 「コンサート・イベント参加」 「演奏」 「作曲」
で中味はずいぶん違います。そして右に行くに従って「やる」度合いが増してゆく。

一方、活動人数に関しては裏づけ数字を探すまでもなく 
鑑賞 > イベント参加 > 演奏 > 作曲 
でしょう。

これはある意味不思議なこと。誰でも子供の頃はクレヨンで絵やマンガを描いたり、かけっこや野球をしたり、授業でハーモニカや縦笛を吹いたりしましたよね。 だから本来は「見る・聴く」より「やる」方にプリミティブな楽しさがあると思うのですが、大人になると「見る・聴く」に偏ってしまうのはなぜなんでしょう。

おそらくそれは「やるための敷居が高くなった」からだと思います。

ではその敷居とは何か・・・、三つほど思いつきます。
 
一つ目は「時間」でしょう。
 
人生を「子供〜学生時代」→「社会人・子育て時代」→「仕事リタイア後の時代」と分けると、不利なのは「社会人・子育て時代」。

例えば私の場合は
・会社に入ってから楽器演奏活動をやめた
 (オーケストラの練習開始時間に間に合わなくなった)
・子供ができてからラジコンをやめた
 
(休日の度にレースとか遠征とかありえない)
でした。

誰だって、日々の仕事に追われ子育ても大事な時期に、自分のための時間を捻出するのは大変です。

二つ目は「水準」じゃないかと思います。

子供の頃、サッカーや野球をしながら「将来はプロ選手」なんて夢見ていても、大人になればほとんどの人はそれが無理だと気づき、好きなスポーツはテレビや会場で「観戦」するか、アマチュアの世界で楽しむようになります。

他のジャンルでも似たようなもの。最近はネットの普及などでその世界のトップクラス(猛者・リーダー・求道者・廃人)の水準が見えやすいので、それなりのものを生み出すには才能はもとより相当な時間とエネルギーを投入しないと無理なことが見えてきます。

趣味なら下手の横好きでもかまわないはずなのに、逆に好きだからこそ低いレベルではプライドが許さない。それなら誰かが作ったものを「見る・聴く・消費する」方が刺激的と思う人が増えるんじゃないかと思います。いわゆる「目の肥えた観客」ってやつですね。

そして三つ目は「気力・体力」かな。

気力にはものすごく個人差がありますが、体力は年齢とともに確実に低下してゆきます。

例えば文部省のサイトで公開している「平成26年度体力・運動能力調査結果の概要及び報告書について」から「体力・運動能力の加齢に伴う変化の傾向」を見るとその結果は非情です。

50代前半の「20mシャトルラン(往復持久走)」結果が8歳児並みとは・・・

でもやっぱり「見る」「やる」は車の両輪だと思うんです。自分でやっているからこそ何が本当にすごいかがわかり、見る楽しみも深まるのではないか。

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そこでプラモの話です。

このサイトを見ている人の多くは「社会人・子育て時代」だと思いますが、その中には
「今はとても時間が取れないが、再開する日のためにキットを買っては積んでいる。せめてもってことで作っている人のサイトをあちこち眺めている」
人もかなりいるでしょう。

ではその人達はいつ再開するのか。気づくと定年になってしまう可能性もあります。

「定年万歳、そうなったらいよいよ模型工作に復帰できる」
と思っているのかもしれませんが、おそらくそれでは間に合わない。

上にも書いていますが、何かを生み出すスタイルの趣味ではレベルアップのための時間が必要です。プラモの場合、私の経験や周囲の観察を総合すると「結構いけてる(※)」レベルになるには、早い人でも復帰後5年くらいはかかるのではないでしょうか。

※個人差もあるし、何を「いけてるレベル」とするかも基準が曖昧なのでざっくりとですが

仮に65歳で仕事をやめ、そこからスタートすれば5年後には70歳。でもここで健康寿命が迫ってきます。

健康寿命とは「健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間」のことで、内閣府男女共同参画局の「男女共同参画白書29年版」によると、日本人男性の健康寿命は2013年時点で71.19歳!
個人差はあるものの、70歳を越えるとバリバリ模型を作れなくなる人が増えるわけですね。

だから数年かかって何とか満足できるものが作れるようになっても
「体力の限界…っ! 気力も無くなり… 引退することとなりました!」
となる可能性もある。

何度も言うように趣味の楽しみ方は人それぞれですが、リアルでもバーチャルでも良いので趣味仲間と交流することをイメージしているなら、「結構いけてる」ものが生み出せた方が機会も増えるでしょう。
そう考えると、やりたい趣味があるならリタイア後ではなく現役のうちに再開した方が良いのではないかと思います。

私は子供の頃からプラモをやっていたものの、長い中断もあって本気に再開したのは2003年くらいからです。見上げれば上手な人はいくらでもいることを知ってますが、自身の中では今が一番スキルは高くなっていると感じていて、10年以上前の作品はやっぱりどうしようもなく甘い。

ここから先は徐々に進歩が止まり、そして衰えて行くんだろうと思いますが、少なくとも現在このようにサイトを維持できたりあちこちの展示会に顔を出せるのは、40代後半から何とか工作時間を作り出していたからだと思っています。

というわけで、模型が好きでいつか作ろうとキットを買い貯めている中年諸君。悪いことは言わない、今すぐニッパーを片手にプラモの箱を開けよう!



「”幸せ”の採点基準
」・・・17/03/05
フィギュアと言えばここを見ている”ご同類”の認識は「人物やキャラクターのミニチュア(萌え〜)」でしょうが、一般的には「スケート」ですよね。
 
では何でフィギュアスケートと言うか、それは「リンクの上に図形(フィギュア)を描くように滑る」からです。そして審査員が「リングに描かれた模範図形を上手にトレースできたか」とか「その時の滑走姿勢が正しいか」などを見て点数をつけます。

「そんなことやっていないじゃないか」
とおっしゃるかもしれませんが、昔はこの「コンパルソリー」が重視されていて、それに「フリースタイル」の点数を加えて順位が決まる仕組みだったんです。

何で今やっていないか。それはコンパルソリーは地味で観客も呼べないし、テレビ放映にも馴染まない。だからスポンサーが好まないから・・・かな。

札幌オリンピック(1972年)の影響もあったはずです。  
札幌で金を取ったのはベアトリクス・シューバですが、何と彼女のフリーは7位。コンパルソリー1位の貯金で逃げ切ったのでした。
高校生だった私もテレビで見ていましたけど、確かにシューバのフリーは面白くもなんともなかった。

フリー1位はジャネット・リンでした。彼女はコンパルソリーが不得意で(4位)結局銅メダルに終わりましたが、ジャンプしてもかわいい、転んでも笑顔がかわいいと一躍人気者になったのです。

「ルールはルールだけど、何かすっきりしない。我々観客の中での金はジャネット」
の声がコンパルソリー廃止の後押しになったと思います。

このように採点ルールが変わってしまう理由、それはフィギュアや体操などの演技スポーツは人が優劣を決めているからです。演技レベルをきちんと審査できるのはそのジャンルの専門家だけでしょうけど、一般の素人はそこに異をとなえたくなる。
それは一般人が演技を「感動」で評価しているからです。「感動」というあやふやな要素は数値化しにくいため、専門家と素人双方が満足するルールを作るのが難しいのだと思います。

逆に審査員の斟酌を考慮しなくて良いスポーツもあります。100m走は0.01秒でも先にゴールした方が勝ちですから判定は機械でも行えます。またサッカーは1点でも多くゴールした方が勝ちです。だからこれらのスポーツでは「審査員」ではなく、ルール違反を監視する「審判」がいるだけでOKです。


話を整理するとこうなります。スキージャンプのように記録と採点がミックスされるものもありますが、基本は三つ。
 
・記録競技・・・速さ、高さ、飛距離などを競い、良い記録を出した人の勝ち
 
・対戦競技・・・直接相手と対戦して打ち負かした方が勝ち
 
・採点競技・・・演技を審査員が評価し、一番高い点数を得た人の勝ち

競技数の割合は、私なりのカウントでは「記録:対戦:採点 = 5:3.5:1.5」くらいです。


さてスポーツはこんな感じですが、私達の生活の中にも競技的要素はたくさんあります。

受験や資格・・・記録競技
 大学入試、国家試験、簿記、Toeicなどはテストの点が高い方が良い。

シェア争い・・・対戦競技
 ライバル企業と競い合い、自分の強みを活かしながら相手の弱点を攻める戦い。

商売・・・採点競技
 ライバルより高性能で安価なものを作ったり、他店より「うまい・やすい・はやい」サービスができれば有利だが(記録競技・対戦競技)、最後は消費者の心を掴んだ商品・サービスが選択される。

異性にもてる、もてない・・・採点競技
 学歴、勤務先、年収、身長、体型など、数値化できる部分は記録競技。大抵はライバルがいるので対戦競技の要素もある。だが最後は会話が弾む、価値観が合う、見た目が良いなどが重要だから、総合的には採点競技。

出世・・・採点競技
 昇格試験や実績評価など記録競技的な要素もあるが、指導力や人徳、人脈で決まることが多い。

コンクール・・・採点競技
 映画、芸術、音楽、出版などで賞を受ける場合、表現技術の優劣や売上も大事だが、最後は審査員の心象で決まる。

他にも色々ありますが、こうやって思いつくものを並べていくと一般社会では採点競技が多いなと感じます。
「受験」や「シェア争い」などの記録競技、対戦競技は負けた時にその理由を説明しやすいです。だから次はどうやったら上手く行くかの対策も立てられる。

しかし採点競技の場合は
「どうしてあんな子を選んだのよ!! 私の方がずっとかわいいのに!! ねえ、どうして? どうして?」
とか
「今回のコンクールの結果には納得がいかない。あんなヘタクソな絵が特選なんて。俺の方が絶対上なのに」
なんてこと起きてくる。上手く行かなかった場合に次の一手も見えにくいので、人はもやもやしてしまう。だからこそスポーツでは、すっきりと結果が決まる記録競技、対戦競技が主流なのかもしれません。
 

スポーツにしろ商売にしろ、ライバル相手に競争しているからには勝者と敗者が出てきます。そもそも人は皆幸せを求めて頑張っているのに、勝ち負けがつくなら敗者は不幸せになるのでしょうか。

これはものすごく難しい問題なので限られた字数で語りきれませんし、そもそも
「本人が幸せと感じていていればその人は幸せなんだから、他人からとやかく言われる筋合はない」
という考えもあります。

「ぼろは着ててもこころの錦 どんな花よりきれいだぜ(水前寺清子「いっぽんどっこの唄」) 的価値感ですね。

ただここまでの話の流れは「人生は採点競技」なので、「幸せ」についても納得性のある評価基準を設けてみたい。 そこで色々な人が書いたものを読んだり、私の周りの人を眺め、最大公約数的に次の10個のチェック項目を提示することにします。
 

○精神的・肉体的に健康である
 
○自分は価値ある人間だと思っている
 
○経済的に安定している
   
○将来の見通しが立っている
 
○よい仲間、よい家族がいる
 
○仕事が楽しい、やりがいがある
 
○周囲とうまくやっている
 
○家族や親しい仲間達も幸せである
 
○時間を自分でコントロールできている
 
○刺激のある趣味やライフスタイルを持っている
 

項目にたくさん○をつけられた人が客観的にも幸せなんだろう・・・とする考え方です。

なお、事前にピックアップした候補の中で、悩んで外したものが二つあります。理由は以下の通りです。入れたい人は入れてください。

○信じる宗教・哲学がある・・・「信じる者は救われる」は「自分が幸せと感じていていれば幸せ」に近く、客観性がないのでカット!

○恋人がいる・・・恋愛は自分のコピーを増やしたいとする遺伝子自体のプログラム発動で引き起こされた「一時的熱病」。また恋愛中のカップルが必ずしも幸せとは限らないのであえてカット!

と言うわけで、ピックアップした10項目を自分に当てはめると・・・、どっちか迷うものもありますが、8個以上でもないし4個以下でもない、こんな感じでした。

以上の考えが正しいのなら、もっと幸せになりたければ○をつけられなかった項目を一つずつ解決してゆけば良いのだと思いますが、そう簡単には行かないのが人生ですね。

ただ「幸せ追求」という「種目」が他と違うのは、誰かが勝てば必ず誰かが負けるものではなく、メダルの数に制限がないことです。  
特に
「周りの人が幸せだと自分も幸せ」
は普通の競技とは異なります。

まあ中には
「他人の不幸は蜜の味」
と考える人もいるかもしれませんし、自分もそういう暗黒面に陥る時がないわけではありませんが、そんな時はまだまだ修行が足りないと思うように努めています。

ちなみに10項目の中に
○刺激のある趣味やライフスタイルを持っている
を入れたのは、自分が有利になるためですから!



「仕事ですから
」・・・17/02/24
”シン・ゴジラ”を見た人はご存知でしょうが、あの中に
「礼はいりません、仕事ですから」
という名セリフがあります。

ゴジラ凍結を目指す「矢口プラン(巨大不明生物の活動凍結を目的とする血液凝固剤経口投与を主軸とした作戦要綱)実行のため全力で準備を整えた自衛隊に対し、内閣官房副長官 矢口蘭堂(長谷川博己)が
「ありがとうございます」
と礼を言った際、統合幕僚長 財前正夫(國村隼)が発した言葉です。

私含め、ここを見ている人達の多くは何らかの仕事をしていると思いますが、考えてみると仕事で頑張っても「ありがとう」と言われることは滅多にない。

かと言って、珍しく同僚や部下から「ありがとうございます」と言われたらどう答えるだろう。
「おう、今回はお前らのためにすげー頑張ったんだ。感謝してもらって当たり前だよ」
とは、思っていてもなかなか言わないでしょう。

「いやいや、礼なんかいいんだよ。仕事だからさ」
と答え、後で一人になった時に
「今の俺、かっこ良かった〜!」
とニヤニヤするんじゃないでしょうか。

でもそんな機会は滅多にないから映画のあのセリフにぐっと来るんでしょうね。

「仕事ですから」がどんな場面でかっこいいだろうと考えてみると、例えばこんなシチュエーションが思い浮かびます。

「この大雪の中、時間通り荷物を持ってきてくれてありがとうございます。今日は無理だろうとあきらめていたんですよ」
宅配便のドライバー 「礼はいりません、仕事ですから」

「給湯器がいきなり壊れて今日はお風呂に入れないんじゃないかと思っていたんです。こんなにすぐ直しに来ていただけるとは」
修理業者 「礼はいりません、仕事ですから」

ただ、全ての仕事にこのセリフが馴染むものではないようです。

「今日の葬儀では素晴らしいお経とご法話をありがとうございました。おかげで主人も安らかに旅立っていけたと思います」
住職 「仕事ですから」

「ウチの○○ちゃんは人見知りで、保育園に行ったら泣いてばかりいるんじゃないかと心配でしたが、毎朝”今日も△△先生と遊べるね。楽しいね”って言うんです。いつも良くしていただいてありがとうございます」
保育士 「仕事ですから」

ぶち壊しになっちゃいますね。

なぜそうなのか、両者の境い目はどこかは何となくイメージできます。
ただおそらくですが、世の中の仕事の過半数は前者。普段やっていることは社会や組織を恙なく回すのに貢献しているんだけど、周りからはそれが当たり前だと思われて滅多に賞賛されることがない。

だからたまには感謝されたいんですよ、我々は。

ちなみに「趣味」ですけど、こっちは同じ趣味を持つ仲間の間では
「わーい!」 「すごーい!」 「たーのしー!」
って言葉が飛び交っていると思います。だから趣味は大事だと思うのです。


「〇
万年に1人の美少女」・・・17/01/19
こだわり道場のキャッチフレーズは「おバカなエッセイ」なんですが、最近は真面目な話ばかり書いているので、たまにはへロっとアホネタが書きたくなっちゃいました。

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さて、1月16日に配信されたJ-CASTニュースに、こんなタイトルの記事がありました。

今度はAKBに「2万年に1人の美少女」 「1000年に1人〜」とどちらがカワイイ?

日本で年間どのくらいのアイドルやタレントがデビューしているかは知りませんが、人々に記憶されるためには
「要するに〇〇ちゃんの売りは何ですか?」
が重要になりますよね。

特にアイドル方面では芸事より「どれほど美少女か」「どんなキャラか」が優先されますので、それを一言で説明できる印象的なキャッチフレーズが見つかると嬉しい。
”『2万年ちゃん』こと小栗有以”はそんな答えの一つでしょう。

ただ記事には「〇年に一人」という表現はこれまでもあったと書かれています。

要約するとそれは

・後藤真希(1999) 「10年に1人の逸材」
・橋本環奈(2013) 「1000年に1人の逸材」
・滝口ひかり 「2000年に1人」
・齋藤飛鳥 「4000年に1人」
・太田夢莉 「1万年に1人」

だそうです(みんなはもっと知っているよね)

なお記事の最後は

「2万年前」は、1万5000年前ごろに始まったとされる縄文時代よりもさらに古く、「最終氷期」(7万年前〜1万年前)にあたる。

で締めくくられていますが、わざわざこの一文を書いた人の気持ち・・・わからんでもない。  

差別化に時間軸を使う手法ですが、「10年に1人」とか「今年一番の」なら少しは真面目に考える気にもなるものの、千年、万年だともうこれはネタレベル。
となればいくら年数を増やしても、最初に「1000年に1人の逸材」と言われた橋本環奈のインパクトを超えるのは無理と思われます。  

 

ちなみに「〇万年」の上限ですが、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」によれば

「人類は7万年ほど前の認知革命によって国家、宗教、企業、貨幣、法律、自由などの虚構を信じる力を得て地球を支配した」

らしいので、アイドルという「虚構」も7万年以前には概念自体が存在しなかったことになる。

だからこの先「10万年に一度の美少女」が出てきても、それはないぞと突っ込もうと思っています・・・って真面目に考える話ではないですが。

 

 

 

 

 

さて「〇年に1人」は時間を単位とした差別化表現でした。では別の単位はないのかと探してみましたが、あんまり思いつかないですね。

〇金額・・・高い方が上。ただし10億円とか1兆円のように 無節操に増加するとは思えないので主流にはならないだろう。ちなみにこの表現手段の草分けとして「600万ドルの男(海外の古いテレビ番組)がある。
  
一億円のシンデレラ(榊原郁恵)
 1億円の瞳(田中美奈子)
100万ドルの微笑(石野真子)

〇人数・・・多い方が上。ただしこれも日本の人口が上限かな。
  
一億人の妹(大場久美子) 
100万人の妹(嶋田怜未)
1億人のクラスメイト(伊藤麻衣子)

〇電圧・電流・電力・・・美人を見て「雷に打たれたよう」とか「一目見た瞬間、ビビっと電流が走った」という表現もあるので、曲名ではあるけど「君のひとみは10000ボルト」は秀逸。
ただし電気(特に電流)は感電死の危険と隣り合わせなので、むやみに高められない。

〇長さ・・・一人発見。ちなみに300万光年は地球とウルトラの星との距離。
  
「300万光年に一人の美少女(百川晴香


また単位にこだわらなければ「地上最後の究極アイドル(浜田彩加)」、「岡山の奇跡(桜井日奈子)」、「神に選ばれし美少女(齋藤飛鳥 ・・・さっき4000年に一人とも言っていた)などは、そこまで言うのなら見てみたいと思わせる力は感じます。
例えば「天空の贈りもの」、「神の光に触れた逸材」、「神の手に導かれし美少女」などの方向性は、今後も色々出てきそうです。 言った者勝ちですから。

さらに最近のトレンドを取り入れれば「前前前世から待っていたアイドル」「この世界の片隅で見つけた美少女」も考えられますが、流石に便乗商法と揶揄されるでしょう。
 

というわけで私も最後に一つ、お勧めのキャッチフレーズを提案します。 「〇年に1人」「〇億人の〇〇」「〇億円の〇〇」などが注意を引きつけるのは、人には「物差し」を使って優劣を決めたい本能があるからと考えるので、「論理的」に考えた ベストなキャッチはこうなりました。

観測史上最高の美少女



私、キュレてませんから」・・・16/12/17
一年ほど前にここにアップし、三ヶ月ほどで消した記事がありました。 内容は

某企業が運営するキュレーションメディアに画像が勝手に使われていて面白くないよ

てな感じです。

企業の名前やどの画像かは明らかにはしませんでしたが、三ヶ月で消したのはネガティブな記事をいつまでも残すのも何だかな〜と思ったからです。

ところが最近いわゆる「WELQ問題」が発生、ドタバタの末に「DeNA」が運営する10種のキュレーションメディアが非公開になる騒ぎがありました。概略は皆さんもご存知かと思います。
非公開化された10種のメディアの中には私の画像を無断利用した「iemo」も含まれていましたので、皆さんの参考になればと思い、経緯を淡々とまとめておきますね。

 

ページはこれです。画像は当時押さえておいたキャッシュ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



缶スプレーが並んでいる写真は、私が行きつけの模型屋さんで公開の許可も得て撮影したもの。


私のサイトではここに使われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

利用について「iemo」側からは一切連絡を受けていません。
 
あちらのページの非公開化直前のページビューは27000弱でした。おそらくその記事を書いたライターやDeNAは閲覧数に応じ何らかの収入を得ていたと思います。

画像はページを開く都度、私のサイトから呼び出される仕組みになっていました。それを知らずに私が画像を消したり、逆に画像に「 無断利用はおやめください」と文字を入れれば、あちら側にもそのまま反映されることになります。そういう危うい利用方法です。

この行為は違法とまでは言えないようです。画像をコピーして自分のサイトに置いたのなら泥棒(著作権法上の複製) でしょうが、今回は画像を都度呼び出しているし、引用元として私のサイトのアドレスも紹介されているからです(嬉しくなんかないけどね)。

だから私サイドの実質的な被害はありません。私が契約しているサーバに余計な負担をかけることにはなりますが、微々たるものですし。



ではなぜこういう行為が嫌われ、今回のように社会的な問題になっているのか。

医療系情報を扱っていた「WELQ」の場合は、記事内容の不確かさが人の健康や生命にも悪い影響を与えかねない緊急性がありましたが、それは特殊なケース。

みんなが怒っている理由は

「他人の努力の成果を勝手に掠め取り、楽して金儲けしているのはフェアではない」

と感じたからでしょう。

私も含め、ここを見ている人の多くは何らかの仕事をしてお金を稼いでいると思います。妻帯者なら妻や子に”ひもじい”思いをさせないためにも給料が百円でも千円でも上がってほしい、それが切実な願いでしょう。

そのためのまっとうな流れとかモチベーションは、例えば会社(勤め人)の場合はこうですよ。

良い商品を作り、良いサービスを実行する → お客に支持される → 売れる → 会社が儲かる → 給料が上がるかも

ネット上のメディアも同じでしょう。

良い記事を書く → アクセスが増える → 広告収入が増える → 給料が上がるかも

でも問題となったキュレーションメディアは流れが逆。

儲けたい → サイトのアクセスを稼いで広告収入を増やそう → 検索で上位に来るように最適化した記事を量産すればいいじゃん。量産するにはあちこちのサイトからコンテンツをパクればいいじゃん

それは順序が違うんじゃないですか? そんな商売、お天道様(おてんとさま)に顔向けできるんですかってことですね。

こういうキュレーションメディアにコンテンツをごっそり持って行かれた人は多数いるようです。それに比べれば私の例なんか全然大したことではありませんし、怒っているわけでもない 。世の中にはこういう人たちもいるんだな、勉強になったなって・・・むしろ感謝しているくらいです(超ポジティブ思考)。

 


「音楽にはまっていた時期もありました
」・・・16/12/10
しばらく前のこと。たまたま用事があって近くの公民館みたいなところに行ったら、一室から弦楽アンサンブルの音が聞こえてきました。

「何!この街でもやっている人たちがいるんだ」

と思い、外に回って窓からそっと中を覗いてみました。バイオリン7〜8名、チェロ3名ほどが練習していました。

ヴィオラはいなかったように思います。

クラシック音楽に使われる弦楽器は主にバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの四つです。バイオリンやチェロは協奏曲も多いですし、コントラバスはジャズやポピュラーで使われることも多いので皆さんご存知かと思いますが、ヴィオラは あまりおなじみじゃないかもしれません。

ただ最も一般的な弦楽アンサンブルはバイオリン×2、ヴィオラ×1、チェロ×1の四人で構成する弦楽四重奏ですから、ヴィオラがメンバーにいないと多くの曲で完全な演奏はできません。



ヴィオラをバイオリンと並べるとこう。一回り大きく、音も低いです。


弾き方はバイオリンとほぼ同じですが、楽譜がハ音記号(アルト記号)で読み方が違う。

ヴィオラ弾きは大抵の場合、 バイオリンをやっていた人が必要に迫られて転向、または両刀使いになる場合が多いようですが、一人で弾ける曲が少ないこともありバイオリンやチェロよりも影が薄く、アマチュアの世界では人数を揃えるのに苦労する場合もあるかと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

私は若い頃、この楽器を20年近くやっていました。誓って言いますが家が金持ちだったわけではない。
もともとは中学の時にブラスバンドをやっていて(パーカッション)、高校の時は剣道部だったものの、大学に入ったらまた音楽がやりたくなり管弦楽部に入団。色々ある楽器の中で人数がなかなか揃わないヴィオラを選んだわけです。
楽器の値段は当時の仕送りの半年分くらいはしましたが、親から借りて、その後バイトで返していきました。


大学を終えてからもOBで作ったオーケストラや市民オーケストラなどに参加して楽しんでいましたが、やめちゃったのは仕事が忙しくて練習に通えなくなったからです。

 



弦楽アンサンブルの練習を覗いた時は流石に心が騒ぎました。もう20年くらい触っていないけど、また練習を再開したらどうなるだろう。

「ヴィオラ、やってたんですけど」

とどこかのサークルに声をかけたら、

「何、ヴィオラとは。ぜひ!」

となる可能性もあるでしょう。

仲間と一緒に練習し、飲みながら音楽談義に花を咲かせ、演奏会に出てドキドキする・・・、またそんな時間を過せたら楽しいだろうな。


でもやっぱりやらない。

再開するならば以前はできなかったこと、あきらめたことに挑戦できなければ面白くないと思うのですが、音楽ではそのイメージが沸かないんです。趣味なんだからかまわないじゃないかと言われそうですが、好きだったからこそ楽しいだけでお茶を濁したくない。

では模型の方はどうか。

このサイトを毎日多くの人が覗きにきてくれたり、展示会に行けば私の作品を見に寄ってくれる人がいることからも、私の活動がどこかで誰かに喜んでもらえている実感はあります。
模型作りのスキルについては、私よりはるかに上手な人がたくさんいることを知っていますが、少なくとも私自身は現在も成長中。去年よりも今年作ったものの方が出来がいいし、来年はもっと良いものを作りたいと思っています。
やりたいネタも数多くあります。その中には新しいスキルが必要なものもありますが、それが身につけばさらに階段を一つ登れるんだろうと思います。

そんな風に考えると結論は明らか。
クラシック音楽はもっぱら聴くことで楽しんでいき、エネルギーの多くはこれからも模型に集中しよう。年から考えるとバリバリやれる期間はある程度限られていますし。



若い人は興味があるものには何でも飛び込んで行くことをお勧めします。私も色々やってきて、その全てが何らかの糧になっている実感があります。色々やらないと本当に好きなこと も見つからないでしょうし。
ただ、あらためて考えると模型は子供のころに最初にはまった趣味だった。それに気づくまで何十年もかかったのかもしれませんが。



「半分は戻ってこなかった
」・・・16/11/26
日本の人口は2010年前後をピークに減少に転じています。
その主な原因は出生数の減少ですが、平均寿命は延びているので、高齢者の数は増しています。
また子供と老人の間、つまり金を稼げる年齢層の人口(いわゆる「生産人口」:グラフで緑色の部分)も減少していきますが、経済的視点からは良い流れではないでしょう。

未来の人口は色々な対策で変わってゆく部分もあるかもしれませんが、おおむねこの未来は決められている。

私の仕事の中には商品企画とか市場調査などもあるので、
「10年後にはAという商品の市場規模は縮小するだろうな。大掛かりな設備投資はしない方がいいかな」
とか
「Bという商品は中高年対象だから、もうしばらくは食いつなげそうだな」
なんてことを考えるのは日常です。

 
何だかんだ言っても人口が増えている時代は去年と同じことをやっていても売上が上がっていく場合が多いです。
逆に人口が減っていく社会では、よほどのことをしなければ今年より来年、来年より再来年の売上は下がって行くはず。
となれば給料も上がる保証はないわけです。

私なんかはそろそろ「上がり」で、もうちょっとすると年金生活に入りますが、今の若い人は右肩下がりの社会の中で長く生きていかないといけない。なかなか大変だなあと思います。

//////

話し変わってもうすぐ12月8日ですね。

このサイトを見ている人の多くはカーモデルだけでなく模型全般にも興味があるでしょうから、12月8日と聞けば
「ああ、昔日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した日だな」
って思う人も結構いると思います。

ここで大東亜戦争(太平洋戦争)、あるいはその前後に世界で起こっていた様々な出来事について多くを語るつもりはありませんが、あの時代がどれだけ大変だったかは 上のグラフの矢印の部分が異常値になっていることでもわかります。

もう少し詳しいグラフを作ってみます。下は世代別生存者数、つまりある時期に生まれた人たちが、その後どの程度”生き残っていたか”を示したものです。


 

本来各々のグラフは右下がりになるはずですが、ある世代の男性に「減って」「増える」という異常が見られます。

その理由はお分かりでしょう。

・減った・・・兵士として、あるいは海外移住者として日本を離れていた(人口にカウントされない)
・増えた・・・戦争が終わり、海外から戻ってきた
・その差・・・戻ってこれなかった(多くは死亡した)

だと思います。

兵隊として死んだ人のほとんどは男性ですが、女性でも減っているのは、先ほど書いた海外に移住して戻ってこれなかった場合に加え、空襲や病死なども考えざるを得ません。

いずれにせよ同期の仲間の半分が一時的に日本から消え、その半分が死んで戻ってこない・・・そんな時代があったことは忘れていけないと思います。

ただ戦争が終わってからの復興も目覚しかったですね。
グラフを見ても1946年から1950年に生まれた赤ん坊はその前の5年間に生まれた数を大きく上回っていて、あっという間に人口は回復しています(赤矢印)
死ぬ悲しみと同じ数だけ生まれる喜びがあった・・・。 そんな風に考えるのも「あり」なのかな。

※ちなみに太平洋戦争開始時の人口は7200万人くらいです。
「進め一億火の玉だ」などの戦闘意欲高揚スローガンがありましたが、当時は台湾や朝鮮も日本が統治していて、それも含めての一億だったからです。


「女性がお花・お茶・ショッピングを好む理由
」・・・16/09/24
前回の「模型人口に関する考察」 ”男性参加率が一番高い趣味は模型工作” というデータを提示しましたが、男性中心の趣味は他にもたくさんあります。
 
逆に参加人口の多くが女性という趣味・レジャーもあります。華道・和裁洋裁・お茶・菓子作り・ショッピングなどです。

ではなぜそうなったのかを考えないと寝付きが悪いので、今日はその考察を。

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人類が誕生して500万年(諸説あり)、現世人類(ヒト)に限っても25万年くらいと言われています。人類が農耕・牧畜を始めてから1万年とすれば(※)、499万年間は獣を獲ったり木の実や果物を集めていた、いわゆる狩猟・採集社会だったんですね。

(※2万年前まで遡れるという説もある。ちなみに罠・ヤス・銛・釣り針・網などを使って魚を獲る「漁労」は3〜4万年位前に始まったらしい)
 
さらに今は工業社会とか情報社会などと言われますが、これらはせいぜい250年とか数十年のオーダー。だからヒトの意識や行動は基本的に狩猟・採集時代を生き抜くために最適化されていると考えられます。

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1万5千年前のある日ある場所・・・まだこの地で農耕は始まっていない。

男A
おい、この矢を見てくれよ。後ろに鳥の羽根をつけてみたんだ。前よりもまっすぐ飛んでいくぞ。
あとな、羽根のカーブのせいで矢が回転して飛ぶんだ。獲物に深く刺さるかもな

男B
どれどれ、ちょっとやらせてくれ。 いやー、こりゃいいわ
 
男A
みんなの分も作ったから使ってくれよ

 
女A
あんた達、そんなことどうでもいいから夕方までにイノシシの一頭も獲っておいで! ここんところ女衆は肉が足りなくておっぱいの出も悪いのよ。 子供を泣かせたくないなら今すぐGO!

女B
やっと出かけたわ。じゃあ帰るまでに私達はヤマブドウでも採りにいこうかねえ

女C
あんた、この前みたいに熟してない実ばっかり摘んでくるんじゃないよ

女B
そういうあんたこそ変なキノコ持って帰るんじゃないわよ。この前ウチの人、突然踊りだしたんだから

・・・夕方・・・

男C
お前の矢、すごかったなあ。あんなに遠くから当たるとは思わなかった


女A
あんた達、今日の獲物は?


男B
兎二羽が罠にかかってた。あとは鴨三羽で〜す

女B
イノシシはどうしたのよ、イノシシは!


男C
今日は逃げられちゃったよ。それよりも聞いてくれよ。Aが作った矢、すごかったんだぜ。この鴨なんかな、飛び立ったところに命中させたんだぜ。信じられるか?


女C
そんなことどうでもいいから獲物をこっちによこしな

 
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昔あったかもしれないこんなシーンから、趣味やレジャーに対する男女の興味差の理由はある程度説明できます。
 

● 男が模型に興味を持ち、女が持たない理由

男には出産・授乳する能力はないが力は強いので、主に狩りや運搬、あるいは部族の安全を守る仕事を受け持つことになる。
効率的に狩りを行う道具や武器の開発は重要。また早く移動できる能力のあるオスは有利になる。

道具や武器はその後機械化され威力を増した。男はそれに本能的に反応し、機械自体はもちろん模型に対しても愛着を持つ。
だから模型の対象の多くは武器・機械である。

女は道具や機械よりもそれを使った結果しか興味がないから、男が模型を愛でる気持ちに共感しない。

 

● 女がショッピング好きな理由

草原で動物を狩る場合は選んでなんかいられない。飛び出してきた獲物はすぐ捕まえなければならない。また獲物に出会えるかどうかは一種のギャンブル

一方営巣地周辺の採集活動は子供を抱えてもできるため、女性が中心となる。木の実・果物やキノコの採集は、色々ある中から「熟していて美味しいもの」「毒ではないもの」を選ぶ行為。
 
その経験の積み重ねにより、女はショッピング自体を楽しいと感じるようになったのではないか。
 

● 女がお花やお茶が好きな理由

毒キノコや酸っぱい実を持って帰らないためには、色で識別する能力、匂いをかぎ分ける能力が大事になる。
それはお花・お茶などへの興味につながる。


ただしこれだけではどうも不十分。
「男は狩猟、女は採集」という役割分担理論だけでは女性が和裁・洋裁や編み物・手芸を好む理由、あるいは多くの女性にとって最重要関心事である化粧・ヘアメイク・ダイエット・健康グッズ購入などを上手く説明できないんですよね。

これに関しては「性選択」理論でかなりカバーできます。 つまり男性が女性を選ぶ際には若くて健康な個体を選ぶ方が子孫を多く残せるので、女性の側も

 「化粧をし、きれいな服を着て実年齢よりも若く見せる」
 「ダイエットに勤しむことで健康体であることをアピールする」

方向に努力してきたんだろうと考えられます。

また本川裕氏の「社会実情データ図録」によれば、伝統社会において衣服・糸・織物の製作や料理は女性が分担するケースがほとんどであることから、趣味やレジャーについても自然とそうなってしまうことに納得性はありますね。

以上、今回は女性がなぜ華道・和裁洋裁・お茶・菓子作り・ショッピングなどに興味を持つかを考察してみましたが、その内容は本や様々な研究サイトを眺め、書いてあることに若干味付けしたもの。自分独自の理論ではありませんが、一通りまとめることで自分自身としては”なんとなく納得”できたので、まあ良かったかなと思っています。

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「ねえねえ、このピンクのブラウスとベージュのブラウスどっちがかわいい ?」

「うーん、ベージュの方がコーディネートしやすいんじゃない(正直どっちでもいいけど)」

「あんたに聞いてもしょうがないわね。  あ、ブルーのブラウスもいいなあ。これ、試着しようっと」

「(また試着かよ。どうでもいいけど腹減ったなあ)」


こういう時は、ああ、これは数十万年間積み重ねてきた女性の本能なんだと思うようにしましょう。狩猟・採集時代、人類が絶滅しなかったのは、女性が採集によって生存に必要なエネルギーの大半を確保していたかららしいので。



「模型人口に関する考察
」・・・16/09/03
静岡で仲間達と作品展示するようになってから十数年経ちますが、最近は参加サークルが増えるとともに来場者もずいぶん多くなったと感じます。人の波を縫ってお世話になっているブースに行くのも大変。

これだけ見ると模型人口は増えているようにも見えますが、周囲を見渡せば地域模型店が減ったりデパートやスーパーの模型売り場の品揃えも情けなくなっているのが現実。

最近は通販でキットや資料本を買ったりネットで制作ノウハウを集めるのは容易ですから、模型店の減少イコール模型人口の減少とは言えない部分もあるでしょうけど。

では現在の日本でどのくらいの人が模型をやっているのか・・・、それを知ることのできるデータはあるのでしょうか。
 

模型人口について

拠り所の一つは総務省の「社会生活基本調査」です。昭和51年以来5年ごとに行われていて、平成28年調査の対象人数は約20万人だそうです。ただし実施はこの秋。

そこで平成23年度の結果を見ると、趣味として模型工作を楽しんでいる男性の推定人口(10歳以上)は

16.4万人 (ちなみに女性は 3千人)

だそうで

陶芸・工芸  78.4万人 
編み物・手芸  28.3万人
和裁・洋裁  25.2万人
茶道  20.1万人 

よりもさらに下となっています。

いくらなんでもそれはないだろう!と思ったら、そもそもの調査方法にからくりがあることがわかりました。

陶芸・編み物・茶道などはあらかじめ調査用紙に項目が羅列してあって、そこにチェックを入れるだけ。 一方模型は項目に載っていませんから、やっている人は「その他(    )」の中に自分で記入することになる。だからどうしても不利になるんですね。

社会生活基本調査を過去まで遡ると「模型作り」は昭和61年から平成8年までは調査項目に入っていました。そうなると結果は俄然有利になります。 例えば平成8年の男性参加率は6.6%だったので当時の人口を掛けると360万人。ここに5歳〜9歳の人数も加味すると400万人を越えてもおかしくないことになります。


もう一つ「レジャー白書」というのも見てみました。こちらは公益財団法人日本生産性本部が毎年やっていて、比較的最近のデータでは男の参加率はおおむね 人口の7〜8%程度。 2012年時点の推定参加者は410万人となっています。ただしこの調査の対象人数は約3,000人とのことですから、参考程度と捉えた方が良いかもしれません。


以上から推定できる模型人口は300〜400万人くらいとなりますが、自分の肌感覚としてちょっと多すぎるような気もします。
ただ模型にはプラモだけでなくラジコンや鉄道模型もありますし、分冊百科(週刊○○を作ろうなど)を模型作りに含めることもできます。 私のようなヘビーなモデラーから、子供と一緒に年に一〜二度作る人も含めての400万人だとしたらわからんでもないです。


模型人口の増減について

次に興味あるのは模型人口が減っているのか増えているのか・・・です。

グラフをご覧ください。経済産業省のサイトにあった「プラモデルの出荷動向」です。
(画像の転用・二次配賦などはOKだそうですので、ここに直接貼り付けました)

 

これを見ると、ここ数年に限ってはプラモの出荷額が増えていることがわかります。これにはガンダムなどの日本製アニメ関連商品の輸出額増加、「艦これ」や「ガルパン」ブームの影響、ミニ四駆の再ブームなどがあると思います。

出荷額増加は一部のマニアの爆買いによるものかもしれませんが、嬉しいデータであることは確かです。


参加希望率について

そう言えば「レジャー白書」の中に興味深いデータがありました。それは実際参加者と参加希望者の比率です。

趣味やレジャーには敷居の高さ、低さがありますね。例えば
 
ハンググライダ―、パラグライダー、乗馬、スキューバダイビング 海外旅行、ヨット、モーターボート

などはやりたいなと思っていてもなかなかできないレジャーではないでしょうか。

「趣味ですか?乗馬です」
と聞かされた時の一般的な反応は
「まあ高尚な。私もやってみたいけど、お金も時間も手間も大変なんでしょ?」
だと思います。
実際これらの参加希望率は実際の参加率の数倍〜十数倍です。

逆に参加希望率が実際を下回ってるものもあります。
スポーツではバレーボールや卓球、それからギャンブル全般。 つまり
「やることもあるけど、特にこれからも続けたいわけではない」
あるいは
「できればやめたいが、なかなか・・・」
と言ったところでしょうか。

そこで肝心の模型作りですが、だいたい2倍くらいです。
これはスポーツ・趣味・娯楽・観光含めた全ジャンルの上位20%以内に入る高さ、つまり
「やりたいのに実際はやっていない人が多い趣味」
に入ります。 もし模型人口が今の二倍になったら業界も潤うし、仲間が増えれば私も嬉しいんですが、何が障碍になっているのかを考えれば、おそらくそれは

・世間の目が暖かくない・・・「まだやってるんですか?」「いい大人が」「戦争賛美者ですか(※)」

・制作環境が整えにくい・・・「塗料や接着剤のニオイが迷惑」「削りくずやゴミで部屋が汚れる」「作業場所が確保しにくい」


あたりが理由じゃないでしょうか。

(※武器の模型を作ることと戦争を賛美することはまったく別ですよと言っても、通じない人も多い)

模型作りを阻害する要因は他にもあると思いますが、潜在希望者が多いとすれば業界のやりようによってはまだまだ人口を増やせそうですね。


男女比について

残念なことに模型作りは女性にはなかなか理解されにくい趣味だと思います。

右はやはり「社会生活基本調査(平成23年度)」のデータから参加人数の男女比を出してみたものですが、「模型作り」は女性参加率が一番低い。

つまり多くの女性にとって模型は

「世の中で一番興味がない趣味」

となっています。

だから我々が一生懸命プラモを作っていても

「何が楽しいんだか・・・」

と思っているんでしょう。

最近は「プラモ女子」「モケ女」なんて言葉を聞くこともありますが、業界がどんなに頑張っても大きな増加は期待しない方がいいようです。
女性でプラモを作る人はとても貴重なので大切にしましょう。



以上、模型人口に関する考察でした。昔のように子供達がこぞって模型作りに夢中になっていた時代は戻ってこないと思いますが、模型はなかなかしぶとい趣味だと思います。