贈与経済ってどうよ」 ・・・18/5/29

人類の経済の発展段階をシンプルに書くとこんな感じになるでしょう。

自給自足(&略奪)→ 物々交換経済 → 貨幣経済

貨幣(お金)って便利ですよね。貨幣には

・価値を比較しやすくなる

・交換が便利になる

(肉と野菜を物々交換したくても「今日はいらない」と言われたら取引は成立しないが、お金を使えば好きなタイミングで手に入る)

・長期保管していても価値が落ちにくい
(生肉や生野菜はすぐダメになる。穀物は保管が効くので貨幣の役割も担える)

などの機能があり、よくまあ人類はこんな上手い仕組みを発明したなと感心します。

(昔のお金は宝飾品や貴金属など、それ自体に価値を持つものが一般的でした。ある時から「金貨預り証」という紙切れが一人歩きして紙幣に発展し、これを使って銀行家や資本家が美味しい 思いをするようになりました。よくもまあ人類はこんな狡猾な仕組みを発明したもんだと感心します)

じゃあ貨幣経済以前の人類には「自給自足」と「物々交換」しかなかったかと言えばそうでもない。間に「贈与経済」が入るとする学者先生も多く、私もそれが自然だと思います。

自給自足 → 贈与経済 → 物々交換経済 → 貨幣経済

動物で考えてみると、普段は自分で獲物を探す(自給自足)ものの、仲間に餌を分け与えるイヌがいたり、人に助けられたカラスが食べ物(ネズミとか)を玄関先に置いてゆくようになった ・・・などの事例もあります。 イヌやカラスが物々交換している様子は見たことないので、贈与経済は物々交換よりもプリミティブなものじゃないかと思います。

何はともあれ今の中心は貨幣経済。では物々交換や贈与経済は廃れてしまったかと言えば決してそんなことはない。
贈与経済の事例はちょっと思いつくだけでもこんな感じです。

贈与経済には

・通りすがりの人に対しては行われにくい。仲間・仲良くしたい人・敵対したくない近隣部族間などで発動しやすい

・直ちにお返しをしなくてもかまわないが、貰い手が返礼するまでの期間、送り手は精神的な優位を保てる(発言力・影響力が強くなる)

・与えた本人に直接お返ししなくてもかまわない場合もある

・受けた恩(借り)をずっと無視していると信用をなくしたり、呪われたり、戦いになることもある

といった性質があります。「貰ってラッキー、後はシカト」では済まされないのが基本です。



昔、模型フリマを主催したことがあります。
知り合いのモデラーさんたちに声をかけ、ストックを会場に持ってきてもらいお客さんに売るわけですが、

・開場前の準備中、他人が持ち込んだキットに目をつけた出品者同士でキットの交換大会が開かれていた(物々交換)

・時間中は激安販売で在庫を減らしていった(貨幣経済)

・夕方になると売れ残ったキットの押し付け合い合戦が始まった(ほぼ贈与経済)


と三つの見事なパターンを見ることができました。来た時よりも帰りの荷物が多くなった”贈与経済敗者”もいました。

プレゼント合戦(押し付け合い)に関しては、フリマの目的が不用品の一掃だったので、持って帰るくらいなら荷物を軽くしたいと思った部分が大きいんでしょうけど、上に書いたことを当てはめると「お互いを仲間として認識している」「これからも仲良くしたい」といった心理が働いたのかもしれません。

こんな風に色々考えてみると、あなたの身の回りでも物々交換よりも贈与経済の方がはるかに頻繁に行われているはずです。そもそも物々交換は貨幣が生まれてしまえば本来の役目を終えていますし。

//////////

ではこのサイトの維持運営を経済の観点から見ればどうなのか。

先日の静岡の展示会では

「ホームページを楽しく見ています」
とか
「参考にさせてもらってます」
などと声をかけてくれる人が結構いました。どうやら私のサイトは誰かの役に立っているようなのですが、となると私は誰かに「価値」を贈与していることになります。

じゃあ返礼はどうなんでしょう。

「制作技法を真似させてもらってます」
と言われたら、その人の目をじっと見ながら
「お役に立てて良かったです。 あ、ここに募金箱が・・・なぜだろう」
と呟けば300円くらい入れてくれる人がいるかもしれません。

もちろんそんなことはしないのでご安心ください。確かにサイトを運営するために労力と費用を投入していますが、その見返りに「楽しさ」や「満足感」などの返礼を十二分にいただいています。
また時々キットなどをいただくこともありますが、これも全閲覧者を代表しての返礼なのかもしれません。



来年3月に定年を迎える予定です。それを機にもう一段ステップアップしたいんですが、どの方向が良いか色々考えています。
今の所ひとりでもできそうな案を10種類くらい、他の人と一緒にならできそうな案も10種類くらい、アイディアが浮かんでいます。
その中には制作代行、完成品販売などもありますが、どうもそちらは私のやるべき方向ではない気もします。

これまで働いている期間はどっぷりと「貨幣経済」の世界にはまっていましたので、フリーになったら少なくとも趣味では「貨幣経済」から距離を置きたい。そしてある意味原始的な「贈与経済」の世界で遊んでみたい。

ただ何度も言いますが「贈与経済」は贈り手が一方的に損する仕組みじゃありません。私からの「贈り物≒呪い」が時間をかけ、ぐるっと360度回って形を変えて私の元に戻ってくる。それを楽しみたいのです。

あ、そう言えばGiftって言葉の意味、英語だともちろん「贈り物」ですが、ドイツ語では「毒」となるって知ってた?・・・(余計なことを)。




「“目標達成で万歳三唱”・・・なんてことはなかった
」 ・・・18/3/27

長男が大学を無事卒業し、4月から東京で働き始めます。
逆に私の方はあと一年で定年。長かった勤め人生活ともおさらばの予定です。

新卒で入社して(正確に言えば「会社に拾われて」)からの40年を振り返れば、思い出は限りなくあります。

例えば
・開発や販促に深く関わった製品が大手価格比較サイトの「プロダクト・アワード」で金賞をいただいた
とか
・工業デザイナーと組んで斬新なデザインの商品を開発したところ売れ行き好調、会社の利益アップにも貢献できた

などは純粋に嬉しい記憶ですが、
 
・女性タレントを使ったエロかわいいCMが話題になった。感想も多数寄せられたが三分の一は苦情だった
とか
・製品に関する長文の質問(800字くらい)が寄せられた。こっちも本気になって技術的解説を3000字ほど返信したところ、某巨大掲示板に全文転載された(予想はしていた)。ただし「会社の中の人グッジョブ!」と添えられていた


となると、上手くいったのかしくじったのか良くわかりません。

いずれにせよ何かが上手くいった時は自分の中で小さく万歳するわけですが、40年仕事しててもこんな(↓)池井戸潤さん原作のドラマのようなシーンはなかったですね。


そもそも

「絶望的な状況が劇的に好転し、みんなで万々歳」

なんてシーンが生まれるのは、大抵は経営者が無能だったり当初の戦略が甘かったり社員に無理強いしていたからでしょう。だからそんな状況にならないに越したことはない。

そういう意味では小さな万歳を積み重ねながら「ああ今年も利益が出たね。みんなの給料も上がるね」とほっとする・・・そんな感じで40年過せたのは幸せだったような気がします。

でも私の世代はまだ良かったんですよ。経済も成長し人口も増えていく時代は自然と売上も給料も上がる場合が多かった。でもこれからの40年はそうはいかない。ではどうするか・・・ですね。

長男とはこの一年位、よくそんな話をしました。 勤める会社は彼が自分で決めましたが、間違いなく40年後も必要とされている業種。その意味で彼の判断を尊重したいと思います。後はその職場で頑張るだけです。


※上のイラストですが、長男に「発注」したものです。卒業旅行、引越し準備などで手元不如意な状況を知っていましたから、話を持ちかけたら喜んで受けてくれました。大した金額じゃないですけど卒業祝いの一つです。


「温度、湿度、確認大実験
」・・・18/1/30

今年の冬は例年にない寒さ。東京でも降った雪がなかなか溶けなかったり最低気温がずっとマイナスだったりして大変そうです。
こちら新潟は雪には慣れてますが、夜の間にどかっと降ると道路の除雪が間に合わなくて朝は大騒ぎですし、気温も例年より低いので水道の凍結防止にも気を遣います。もちろん暖房機器はフル稼働です。

以下は正月に戻ってきて自室でごろごろしていた子供達との会話です。

「部屋ちゃんと温めてる? ファンヒーターの設定は17℃か、寒くないのか?」
 

「これでも暑いくらいだよ」
 

「流石に若いな。ところで二人ともアパートじゃエアコン何℃にしてる?」
(←燃焼系暖房機禁止のため)
 
「24℃くらいかなぁ。それでもなかなか温まらないけど」
 

「エアコンだとそんなもんだろうな。ところで何で設定温度が7℃も違うのか説明できるか?」
 

「むむっ、んー」
 

「PMVって物差しだと、快適性は気温・湿度・風速・熱放射・着衣量・運動量の6つを考慮することになってるんだけど、エアコンで暖房するとファンヒーターより湿度が下がるし、暖かい空気を吹き降ろすから風速も高くなって不利になる。
 
また天井付近はどうしても床より温度が高くなるから、エアコンのセンサーが24℃でも人のいる場所はそれより低いだろう。
そんなこともあってエアコンの24℃とファンヒーターの17℃がだいたい同じ感覚になるんだろうな」
 

「へー」

 

話はそこで終わりましたが、言ったことには裏付けが欲しいので、その後何日かかけて以下の実験を行いました。

右は二人がごろごろしていた部屋です。もともとは次男の勉強部屋。

 

 

 
エアコンの低温暖房能力(外気温2℃の時の暖房能力)は2.6kW。

そこでファンヒーターは部屋にあった3.7kWタイプではなく、脱衣場で使っている2.5kWタイプを持ってきます。

 

 
温度と湿度測定には市販の乾球計を使います。安いデジタル式よりもはるかに信用できますので。

乾球計はエアコンやファンヒーターの温風が直接あたらない場所に置きます。

三脚にセットしたカメラでズーム撮影し、0.1℃単位まで読み取ります。

 

 
「Sprungの公式」から湿度を計算します。
 
予備実験により、エアコンを24℃に、ファンヒーターを20℃に設定した時にどちらも室温が21℃程度になることが見えていましたので、そのように設定します。
 
結果はこうなりました。おおむね予想していた通りですが、湿度はもう少し下がると思っていました。

 
湿度に10%の差があります。計算式(「ミスナールの式改良版」)に入れてみると体感的にはファンヒーターの方が0.5℃ほど暖かく感じるはずです。

あ、もしかしたら
「どうして湿度に差が出るの?」
とか
「そもそも部屋が暖まるとなんで湿度が下がるの?」
とか思っている人、いますか?

 
ファンヒーターで湿度が下がりにくいのは、化石燃料が燃えると水蒸気を発生するからです。 図はアルカンの中で最も単純なメタンの例ですが、燃えると水蒸気が出ることがわかります。
 
都市ガス・プロパンガス・そして灯油も中味はほとんど水素と炭素ですから、同じようなことが起きます。

室温が上がると湿度が下がる理由は、飽和水蒸気圧(中学の時に習った)で説明できますが、・・・あ、もうすでに脱落しかかっている人もいるようなのでやめておきますね。

 

 
今回の実験をまとめます。 得られた結果は
・エアコンを24℃に、ファンヒーターを20℃に設定した時に、部屋の温度はどちらも21.5℃程度になった
・エアコン暖房の湿度は50%、ファンヒーターでは60%だった(計算では体感温度で0.5℃違う)

でしたが、実際に部屋に入ってみると、エアコンで暖房している部屋は微妙に肌寒く、ファンヒーターは逆にちょっと暑いくらい。もう2℃ほど下げてもかまわないのではないかと思いました。
 
その差はおそらく風のせい。今回は風速計まで使わなかったので正確なことは言えませんが、もし風速が0.4m/s違うとなると、体感温度は計算上2℃ほど変わります。
 
以上により子供達との会話の疑問はおおむね説明できました。めでたしめでたし。
 
一通りやってみてあらためて感じたのは新潟の湿度の高さです。エアコンで暖房しても50%ですから。

でもこれが関東地区ですと外はもっと乾燥しているので暖房時の湿度は20%を切ってもおかしくありません。このレベルに下がると肌が乾燥したり、のどが荒れてインフルエンザにかかりやすくなったりします。

エアコンや床暖房などで部屋を暖めているなら、加湿器などでなるべく部屋の湿度を高めると良いと思います。体感温度も上がりますし。

寒さはまだしばらく続くようです。どうか体調を崩さずに、この冬を乗り切ってください。


西郷どんと陸軍分列行進曲」・・・18/1/11
「西郷どん」が始まりました。
NHKの大河ドラマは一昨年の「真田丸」は最後まで面白く見たのですが、去年の「おんな城主 直虎」は10回ほどでギブアップ。 奥さんは逆パターンでしたので、これは好みの問題でしょう。
「西郷どん」がどうなるかはまだわかりません。

今日は「西郷どん」に絡み、陸軍分列行進曲の話でもしようと思います。

///////////

普段私達が聞いている音楽のほとんどは洋楽(乱暴に言えば五線譜で表される音楽だと思いますが、日本に洋楽がまともに入って来たのは明治維新前後から。

当時の日本は植民地化を防ぐためにも富国強兵に努めなくてはなりませんでした。軍隊の近代化も求められ、兵器調達はもとより西洋式用兵術の習得が急務でした。

それまでの戦(いくさ)は言わば「個人戦(一騎打ち)」。

「やあやあ我こそは何処何処の何某」

の世界だったのが、近代戦では指揮官が兵士を組織のユニットとして動かす「団体戦」が求められます。
そのために大事なのが機動、すなわち「行進」です。

江戸時代の日本には行進という概念はなかったはずです。あったのは「行列」。
(”大名行進”、”花魁行進”とは言わないものね。花魁が行進したら怖い)

歩速をそろえて移動するには行進曲が必要になります。そこでお雇い外国人に軍楽隊の訓練をしてもらったり日本独自の行進曲を作ってもらうわけですが、最初はとにかく上手くいかなかったらしいです。
何しろ行進したことのない民族だったから。

また西洋音楽はリズム、メロディー、ハーモニー、強弱、テンポなどの要素から成り立っていますが、邦楽ではメロディー以外はあんまり重視されていたとも思えないので、いきなり♩=116〜120とか言われても困っただろうな。

それでも何だかんだでスキルは上達していきます。

では日本で最初の行進曲は何かと調べていくと、どうもそれは明治19年にシャルル・ルルー(フランス陸軍軍楽隊長)が作った陸軍分列行進曲だと思われます。
この曲は現在でも陸上自衛隊と警視庁機動隊の公式行進曲になっていますね (ちなみに軍艦行進曲は明治33年だからずっと後)。

すごいなと思うのは、この曲のもとがルルーの作った軍歌「抜刀隊(明治18年)」で、西南戦争がテーマだってこと。

「抜刀隊」を簡単に説明するとこうなります。

・明治10年2月、西南戦争勃発
・田原坂の戦い(3月)で白兵戦発生。薩摩士族の抜刀斬り込み作戦で新政府軍に大被害
・それに対抗するため、警視隊の中から特に剣術に秀でた者を選抜し「抜刀隊」を臨時編成
・彼らの活躍もあって田原坂制圧
・9月、城山決戦で西郷隆盛自刃

ちなみに抜刀隊には元会津藩士も多数志願して戊辰戦争の恨みを晴らしたって話もあるけど、実際はそうでもないらしいです。

軍歌「抜刀隊」の一番の歌詞はおおむね

「敵の大将は西郷隆盛っていうすっげー英雄なんだけど、今回の戦いの義は政府軍側にあって相手は賊軍だから自信を持って戦え」

てな感じになっています。

だから観閲式などであの曲を流しながら陸上自衛隊が行進している様子を見ると

「薩摩の人、不愉快に思わないのかな」

とか

「そもそも西南戦争で地元のカリスマ、西郷隆盛が死んだことについて、鹿児島の人は今でも新政府に恨みみたいなものを持っているのかな」

などが気になったりしていました。 その疑問をずっと抱いていたので、2009年に鹿児島に行った時に地元の人に聞いてみたことがありますが、皆さんの答えは大体こんな感じでしたよ。

「そんなこと思ってませんよ。大久保はんもいますし」

何れにせよ「西郷どん」にはこれから有名どころも多数出てくるだろうし、一年間面白く続いてくれればと思ってます。そして鈴木亮平の代表作になってほしい。今の所まだ私の中では「変態仮面」なんで・・・。

//////////

追記:

以下はYouYubeへの直接リンクなので、しばらくしたら消すかもしれませんが、「抜刀隊」や「分列行進曲」を知らない人のために。

二番までの歌詞を知りたい人に

最近の陸上自衛隊

警視庁機動隊  抜刀隊の成り立ちから言えばこっちが本家

当時の録音・録画と思われるもの  今まで聴いた分列行進曲の中で一番凄味があった



決死のアタック!戦略突撃大作戦(そんなタイトルの映画ないです)」・・・17/12/30
下宿している子供たちが正月休みで戻ってきました。ぐだぐだと過ごしている二人の会話を聞いていたら

捨て艦戦法はモラル的にどーのこーの”

なんて話をしています。

「へー、”戦法”なんて言葉、久しぶりに聞いたな。将棋以外だと、啄木鳥戦法、デスラー戦法・・・。あと何かあるかな」

などとやりとりしたんですが、それをきっかけに以下を。

/////////

この記事が販売の援護射撃になった
ターゲット(標的)は女性客
ご当地ラーメンの激戦区、新潟

どれも日常耳にする言い回しですが、もとは軍事用語です。
同業他社や競合店は互いに切磋琢磨するライバルですが、同時に倒したい敵でもあります。だから軍事用語はビジネスと親和性が高いのでしょう。

もう少し言葉を拾ってみます。こちらは主に現場(戦場)をイメージさせます。

目標達成も射程圏内
商品の弾数(たまかず)は十分か?
当社の営業部隊
全社員を動員して
売れなければこのエリアから撤退するしかない
彼は即戦力になる
部品は現地調達できるの?
ライバルメーカーを狙い撃ち

一方、いわゆる計画段階で使われる言葉だとこれら。

販売戦略を立てる
作戦会議を開こう
人海戦術でチラシを入れる
持久戦法で相手の息切れを待とう

戦略・作戦・戦術・戦法 などは
「ちょっと偏差値が高そうな感じがする〜」
「大掛かりなプロジェクトに参加しているような気がする〜」
ので好んで使われるのかもしれません。

「ミッション・インポッシブル(Mission:Impossible)」って映画があります。ご存知のようにあのシリーズは1967年〜1973年のテレビドラマ「スパイ大作戦」のリメイク。

「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで」

ってやつですね。

中学生〜高校生だった私も夢中になって見ていましたが、当時は原題が「Mission:Impossible」だったなんて意識していませんでした。

「Mission:Impossible」を訳すと「実行不可能な指令」になります。
ではあのドラマが当時、原題のままの「ミッション・インポッシブル」あるいは直訳に近い「不可能指令」のタイトルで放送されていたら、と思うと「スパイ大作戦」は上手くつけたもんだなあと思います。

他の映画でも探してみます。 さっきも書いたように「戦略」「作戦」などをつけると何か大作っぽい雰囲気になり、集客も有利になる。 例えばこれらは有名どころ。邦題は原題直訳に比べて見る気にさせてくれるなと感じます。

逆に「それ、苦し紛れでしょ」と思うものもありますね。「原題のままでは映画の内容が全く想像できない」とか、「少しでも興味を持ってもらうために刺激的なタイトルにしたい」などと思ったんじゃないかな。
なお「戦法」がタイトルに入っている映画は捜した限りでは見つかりませんでした。

何れにせよちょっと気になるのが

 戦略 (ストラテジー)
 作戦 (オペレーション)
 戦術・戦法 (タクティクス)
 戦闘 (バトル・コンバット)

の使い分け。 これらは違う概念ですから、バトルを勝手に戦略や作戦にしちゃいけないのよ、ねえ「空軍大戦略(Battle of Britain)」・・・。
でもそんなこと気にしている人ほとんどいないでしょう。若干の違和感を感じながらも「空軍大戦略」はあのすごい映画のタイトルにふさわしかったと思います。

////////////

「ところでお前は 戦略・作戦・戦術・戦法・戦闘 の違いをちゃんと理解して使い分けてるんだよな?」

と言われそうなので、こんなのを作って防衛線を張っておきます。 ちょっと無理筋ながら「サトシの場合」も考えてみました。

・ミッションからコアバリューまでは会社では社是・社訓・行動倫理などに相当します

・ビジョンは中長期経営計画かな

・パーパスは最近良く目にするようになりました。サトシの使命が最強のポケモンマスターだったとしても、それを目指しているポケモントレーナーはたくさんいるはず。その中でサトシが長く主役でいられるのは、彼のパーパスがあの世界の住民や視聴者から支持されているからなんだろうと考えます。かなりこじつけですけど

・戦略〜戦闘は比較的見えやすい部分。特に映画ではアクション・戦闘シーンが大切ですが、今はほとんどCGが入ってるので良くできていて当たり前。ど派手な映像を見せられても「うおー!」っとならないのが逆につまんないですね。
名作と言われる映画はパーパスからビジョンあたりが上手く表現できているものが多いと思います。

年末だってのにしょうもないことばかり考えてるな、俺。


「鉄の男と鋼の男
」・・・17/12/15
テレビでマン・オブ・スティール(Man of Steel)を見ていた奥さんが、いきなり

「ねえ、アイアンマン マン・オブ・スティール ってどう違うの?」

と聞いてきた。

誤解しないように言っておくが、当家は皆アメリカンコミックの実写映画は好きで、ここ1〜2年に限っても「アントマン」 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」 「ワンダーウーマン」などは家族で映画館に見に行っている。
だから奥さんがアイアンマンとスーパーマンを混同しているなんてことはありえない。  

おそらく彼女の質問は

「どっちも ”鉄の男”になると思うが、アイアンとスチールはどう違うのか?」

なんだろうと理解した。

さて、どう答えようかなと思った瞬間、脳内にこのような(→)単語がぶわーっと浮かんできたのだが、とりあえずこう返事した。

「スチールは鋼鉄でいいんじゃないか? 普通は板 にしてから使うよ」

「アイアンは鉄全般のことだけど、あえて言うなら鋳物かな。ゴルフクラブのアイアンもアイロンも鉄の固まりって感じだよね」

「スチールと鋳物のアイアンの主な違いは炭素の含有量なんだ。炭素分の多い鋳鉄は固いけど脆いんだ」

こんな風に話していったら、奥さんの相づちがどんどん興味なさそうになっていく。

最後に

「あえて言えば、アイアンマンが”鉄の男”ならマン・オブ・スティールは”鋼の男(はがねの男)かな」

で締めくくったが、何か疲れた。

 

その日はそれで終わったんだけど、気になったので数日後にもう一度確かめてみた。

「この前、結局何が聞きたかったの?」

「”マン・オブ・スティール”って、真ん中に”オブ”が入るけど、文法上どう訳すのかなと思っただけよ」

そっちかよ!  要するに”スティールマン”じゃないのはなぜかってことか」

「それなのに鉄と鋼の違いなんて説明しだすから疲れちゃった・・・。何年一緒にいても通じないわね

/////////////

その後も少し考えてみたが、「マン・オブ・スティール(Man of Steel)」で彼はまだ回りから「スーパーマン」という名前では呼ばれていなかった 。巨大不明生物 → ガッジーラ の流れと似ている。

そう考えれば

・「マン・オブ・スティール」 は 「鋼の肉体を持ったあの男」

・「アイアンマン」 は 「鉄の鎧を纏った男」

と解釈すると、オブが入る/入らないを何となく説明できるような気がするが、本当はどうなんだろう。

 

「オランダ領東インド」・・・17/12/08
小学生の頃、親父が1年ほど海外赴任していた時期(1964年〜65年)がありました。

でも当時は

「インドネシアのスマトラに石油を掘りに行ってるんだって」

程度しか理解していませんでした。

また、戻ってきてから色んな話を聞いたはずなのに

「生まれたばかりの虎をペットに飼い始めたが、1年経ったら手に負えなくなった。虎は猫じゃなかった。
日本に戻る時、運よく動物園に引き取ってもらえたが」

と言ったネタ話ばかりが記憶に残っています。

さて、今日12月8日が何の日かは特にここを見ている人はご存知でしょうが、1941年のあの日、日本軍は真珠湾を攻撃すると同時にマレー半島に上陸しています。いわゆる南方作戦です。

南方作戦の目的の一つは資源の確保。特にオランダ領東インド(ほぼ現在のインドネシア)の石油資源がメインターゲットでした。真珠湾を攻撃したのもアメリカ太平洋艦隊の戦力を削いで南方作戦を妨害させないためです。

で、親父が赴任していた北スマトラの石油事情は、ざっくりとこんな流れになるようです。

  1929年  オランダがラントウ油田を発見
   
  1941年  太平洋戦争勃発
  
  1942年  日本が蘭印作戦でオランダ領東インドを支配。日本本土への石油輸送開始
              (キーワード 「パレンバン空挺作戦」「空の神兵」「加藤隼戦闘隊」など)
     

  1944年  アメリカ潜水艦による通商破壊作戦により石油輸送量激減
  
  1945年  敗戦により日本が蘭印から撤退
  
  1950年  独立戦争を経てインドネシア共和国が誕生
  
  1960年  日本がインドネシアに協力しながら油田施設の復旧と再開発を推進(1974年まで)

こんな風にいくつかの知識が繋がってくると、親父の海外赴任も大きな歴史の中の一つのピースとして考えることができて面白いです。


以下は親父が仕事の合間に描いたスケッチです。結構残っているんですが、意外と暇だったのかな。
時代は違いますが、戦争中、多くの日本人がこんな風景の中で戦ったんだなと思っていただけると嬉しいです。

 
 
宿舎みたいですね。
 
艀(はしけ)です。
 

石油掘削デリック(櫓)。

今はあまり見られないガスフレア(随伴ガスを燃やして爆発事故を防ぐ)が確認できます。

 
一見海のようですが、絵の右下に「Toba」とあるので、「トバ湖」です。
 
こっちもそうですね。

下にある建物の屋根が特徴的ですが、これはトバ湖を故郷とする「バタック人」の住居を模したもののようです。

トバ湖は世界最大のカルデラ湖で、7万4千年前の大噴火では、その後数千年に渡って地球が寒冷化し、人類(ヒト)もあわや全滅しかかったらしいです(トバ事変)。

それをきっかけにヒトは衣服を着るようになったのではないか、そして逆に寒いエリアにも拡がっていけたのではないかとの学説もあって面白いですね。 

もしその大噴火がなければ人は半分裸のまま、今でも温かいエリアにしか住めなかったかもしれない。建築技術や農耕技術もヒトが寒いエリアに進出することで発達したんだろうし・・・なんて考えていくと妄想は尽きないんですが、そういう話、皆さんも好きですか?どうでもいいですかそうですか。

 

 

デザインとアートの間」・・・17/12/01
先日、次男(大学3年)が制作したロールプレイングゲームが「ふりーむ!」に投稿・掲載されました。中味はいわゆる「剣と魔法によるヒロイックアドベンチャー」です。
フィールドの素材や音楽などはフリーに使えるものを借りていますが、彼はマンガが描けるので、主要キャラや数十匹のモンスターは全部自分で描き起こしています。

私もパソコンに落としてやってみましたが「ちゃんと面白い」のでびっくり。 寄せられている感想も「ストーリー性がある」「キャラが魅力的」と高評価です。

制作中の様子は時々覗いていたのですが
「素人が初めて作るゲームだし、おままごとに毛の生えた程度だろう」
と軽く見ていましたわ。

また、例え一つのゲームでも、その中には彼が今まで学んできた知識やスキルだけでなく、価値観・人生観まで反映されていたのは親として新鮮な収穫でした。

公開されて10日ほど経った頃、彼に聞いてみました。

「何人かが感想を書いてるね」
「それはもう、喜びます」
「ダウンロード数は?」
「今の所400くらい」
「もっとたくさんの人にやってもらいたいと思ってる?」
「もちろん。でも自分のツイッター以外に宣伝手段がない」
「お父さんのサイトで紹介したら上乗せできるかもしれないが、親子だってばれるしな。自然に任せ、無理に宣伝しない方がいいと思うよ」
「そう思う」

またその後彼のツイッターを見たら(※)

「俺のゲームをやってくれた人には”時間を無駄にした”とは思われたくなかった。だから後味の悪い終わり方にはしなかった」

とか

「やる人に楽しんでもらうことを優先して、自分が本当に作りたかったものとは違う部分もある」

みたいな事を書いています。

※アドレスは本人が教えてくれました。「時々見に行くこともあるが気にするな。好きなこと書けばいい」と伝えています。

この発言にもちょっと驚きました。その理由は彼の頭の中に「デザイナー思考」を感じたからです。

///////////

私自身の仕事の一つに製品デザインへの関わりがあります。そんなこともあってデザインとは何かを考えることが多い。

デザインと言うと「かっこいい」とか「美しい」ものを考え出す仕事と思っている人もいるかと思いますが、それはデザインのごく一部の要素でしかありません。 なぜなら多くの商業デザインはデザイナーがクライアントから依頼されることで発生するからです。

クライアントはなるべく低いコスト・高い生産性・短い納期でモノを作り、なるべく高い価格で売って儲けたいと思っています。 デザイナーはそれを理解した上で作業を行いますが、デザイナーはもともと「最高のもの」が作りたい生き物ですから、クライアントから出される制約はデザイナーの仕事を邪魔する方向に働きます。 そんな中でも仕事は仕上げなければなりません。だから出来たものはデザイナーが本当にやりたかった姿にはならないのが普通です。

でもクライアントの願いは「良く売れて儲かること」ですから、商品が市場に受け入れられた場合、「デザイナーは良い仕事をした」と言われます。 つまりデザインとは「どうしたら他人に受け入れられるか」を考え、それを多くの人が納得できる形に持って行く行為です。

これと逆の立場にあるのがアートです。

アーティストは
「とにかく俺はこれが表現したいんじゃ!」
と思って自分から動きだすもので、それを他人がどう感じるかは第一義(根本の意義)ではありません。
人がどう感じるかに優劣はないので、アートにも優劣はないはずです。

ただし両者にはっきりとした線引きはありません。 例えば一部の超高級時計や有名なファッションブランド製品などは多くの人を対象としたものではなく、その良さがわかり、使いこなせる一握りの人のために金に糸目をつけず生み出されます。ここまでくるとアートに近くなってくる。

逆もあるでしょう。例えば美術館の中庭に置くオブジェが必要という事で、美術館側がイメージに「ふさわしい」作風を持った芸術家に制作を「依頼」したような場合、それは果たしてアートと言えるのでしょうか。

話を戻しますが、今回のように個人がフリーゲームを作って公開する場合、きっかけは
「とにかく俺はこれが表現したいんじゃ!」
のはず。だから基本的にはアート側からのスタートです。

それが誰からも認められないとしたら寂しいので、ある程度のデザイナー視点は必要ですが、普通個人が趣味で作るものは
「アーティスト視点:デザイナー視点=70:30」
くらいじゃないでしょうか。

でも次男のものは、私が見る限り
「アーティスト視点:デザイナー視点=50:50」
だったんですね。

それが先ほど書いた「驚き」の理由です。

/////////

ちなみに個人がプラモを作ってみんなに見てもらう行為はどうなんでしょう。上の表で水色にしたところが私の判断ですが、こうやって眺めると
「アーティスト視点:デザイナー視点=60:40」
くらいになるのかな。

プラモはもともと「デザイン」された対象物を縮尺して再現するものですし・・・。

 

「定年後じゃ ”間に合わない” かもしれないよ (グサッ)」・・・17/11/02
「趣味の楽しみ方」あるいは「遊び方」には二つの方向性があると思っています。

方向性1:誰かが用意したプラットフォームの上で楽しむ…(一言で言えば「見る・聴く」)
  (例)読書、映画・音楽・スポーツ鑑賞、テレビゲーム、パチンコ・競馬、テーマパーク巡りなど

方向性2:自分から何かを生み出す・作り出す…(一言で言えば「やる」)
 (例)歌う、踊る、楽器演奏、絵画・彫刻の制作、模型作り、漫画描き、書道、各種スポーツ、山登りなど

ジャンルによる線引きではありません。例えば「音楽が趣味」と言っても
 「メディア鑑賞」 「コンサート・イベント参加」 「演奏」 「作曲」
で中味はずいぶん違います。そして右に行くに従って「やる」度合いが増してゆく。

一方、活動人数に関しては裏づけ数字を探すまでもなく 
鑑賞 > イベント参加 > 演奏 > 作曲 
でしょう。

これはある意味不思議なこと。誰でも子供の頃はクレヨンで絵やマンガを描いたり、かけっこや野球をしたり、授業でハーモニカや縦笛を吹いたりしましたよね。 だから本来は「見る・聴く」より「やる」方にプリミティブな楽しさがあると思うのですが、大人になると「見る・聴く」に偏ってしまうのはなぜなんでしょう。

おそらくそれは「やるための敷居が高くなった」からだと思います。

ではその敷居とは何か・・・、三つほど思いつきます。
 
一つ目は「時間」でしょう。
 
人生を「子供〜学生時代」→「社会人・子育て時代」→「仕事リタイア後の時代」と分けると、不利なのは「社会人・子育て時代」。

例えば私の場合は
・会社に入ってから楽器演奏活動をやめた
 (オーケストラの練習開始時間に間に合わなくなった)
・子供ができてからラジコンをやめた
 
(休日の度にレースとか遠征とかありえない)
でした。

誰だって、日々の仕事に追われ子育ても大事な時期に、自分のための時間を捻出するのは大変です。

二つ目は「水準」じゃないかと思います。

子供の頃、サッカーや野球をしながら「将来はプロ選手」なんて夢見ていても、大人になればほとんどの人はそれが無理だと気づき、好きなスポーツはテレビや会場で「観戦」するか、アマチュアの世界で楽しむようになります。

他のジャンルでも似たようなもの。最近はネットの普及などでその世界のトップクラス(猛者・リーダー・求道者・廃人)の水準が見えやすいので、それなりのものを生み出すには才能はもとより相当な時間とエネルギーを投入しないと無理なことが見えてきます。

趣味なら下手の横好きでもかまわないはずなのに、逆に好きだからこそ低いレベルではプライドが許さない。それなら誰かが作ったものを「見る・聴く・消費する」方が刺激的と思う人が増えるんじゃないかと思います。いわゆる「目の肥えた観客」ってやつですね。

そして三つ目は「気力・体力」かな。

気力にはものすごく個人差がありますが、体力は年齢とともに確実に低下してゆきます。

例えば文部省のサイトで公開している「平成26年度体力・運動能力調査結果の概要及び報告書について」から「体力・運動能力の加齢に伴う変化の傾向」を見るとその結果は非情です。

50代前半の「20mシャトルラン(往復持久走)」結果が8歳児並みとは・・・

でもやっぱり「見る」「やる」は車の両輪だと思うんです。自分でやっているからこそ何が本当にすごいかがわかり、見る楽しみも深まるのではないか。

////////////

そこでプラモの話です。

このサイトを見ている人の多くは「社会人・子育て時代」だと思いますが、その中には
「今はとても時間が取れないが、再開する日のためにキットを買っては積んでいる。せめてもってことで作っている人のサイトをあちこち眺めている」
人もかなりいるでしょう。

ではその人達はいつ再開するのか。気づくと定年になってしまう可能性もあります。

「定年万歳、そうなったらいよいよ模型工作に復帰できる」
と思っているのかもしれませんが、おそらくそれでは間に合わない。

上にも書いていますが、何かを生み出すスタイルの趣味ではレベルアップのための時間が必要です。プラモの場合、私の経験や周囲の観察を総合すると「結構いけてる(※)」レベルになるには、早い人でも復帰後5年くらいはかかるのではないでしょうか。

※個人差もあるし、何を「いけてるレベル」とするかも基準が曖昧なのでざっくりとですが

仮に65歳で仕事をやめ、そこからスタートすれば5年後には70歳。でもここで健康寿命が迫ってきます。

健康寿命とは「健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間」のことで、内閣府男女共同参画局の「男女共同参画白書29年版」によると、日本人男性の健康寿命は2013年時点で71.19歳!
個人差はあるものの、70歳を越えるとバリバリ模型を作れなくなる人が増えるわけですね。

だから数年かかって何とか満足できるものが作れるようになっても
「体力の限界…っ! 気力も無くなり… 引退することとなりました!」
となる可能性もある。

何度も言うように趣味の楽しみ方は人それぞれですが、リアルでもバーチャルでも良いので趣味仲間と交流することをイメージしているなら、「結構いけてる」ものが生み出せた方が機会も増えるでしょう。
そう考えると、やりたい趣味があるならリタイア後ではなく現役のうちに再開した方が良いのではないかと思います。

私は子供の頃からプラモをやっていたものの、長い中断もあって本気に再開したのは2003年くらいからです。見上げれば上手な人はいくらでもいることを知ってますが、自身の中では今が一番スキルは高くなっていると感じていて、10年以上前の作品はやっぱりどうしようもなく甘い。

ここから先は徐々に進歩が止まり、そして衰えて行くんだろうと思いますが、少なくとも現在このようにサイトを維持できたりあちこちの展示会に顔を出せるのは、40代後半から何とか工作時間を作り出していたからだと思っています。

というわけで、模型が好きでいつか作ろうとキットを買い貯めている中年諸君。悪いことは言わない、今すぐニッパーを片手にプラモの箱を開けよう!