7.仕事ですから・・・17/02/24
”シン・ゴジラ”を見た人はご存知でしょうが、あの中に
「礼はいりません、仕事ですから」
という名セリフがあります。
ゴジラ凍結を目指す「矢口プラン(巨大不明生物の活動凍結を目的とする血液凝固剤経口投与を主軸とした作戦要綱)」実行のため全力で準備を整えた自衛隊に対し、内閣官房副長官
矢口蘭堂(長谷川博己)が
「ありがとうございます」
と礼を言った際、統合幕僚長 財前正夫(國村隼)が発した言葉です。
私含め、ここを見ている人達の多くは何らかの仕事をしていると思いますが、考えてみると仕事で頑張っても「ありがとう」と言われることは滅多にない。
かと言って、珍しく同僚や部下から「ありがとうございます」と言われたらどう答えるだろう。
「おう、今回はお前らのためにすげー頑張ったんだ。感謝してもらって当たり前だよ」
とは、思っていてもなかなか言わないでしょう。
「いやいや、礼なんかいいんだよ。仕事だからさ」
と答え、後で一人になった時に
「今の俺、かっこ良かった〜!」
とニヤニヤするんじゃないでしょうか。
でもそんな機会は滅多にないから映画のあのセリフにぐっと来るんでしょうね。
「仕事ですから」がどんな場面でかっこいいだろうと考えてみると、例えばこんなシチュエーションが思い浮かびます。
「この大雪の中、時間通り荷物を持ってきてくれてありがとうございます。今日は無理だろうとあきらめていたんですよ」
宅配便のドライバー 「礼はいりません、仕事ですから」
「給湯器がいきなり壊れて今日はお風呂に入れないんじゃないかと思っていたんです。こんなにすぐ直しに来ていただけるとは」
修理業者 「礼はいりません、仕事ですから」
ただ、全ての仕事にこのセリフが馴染むものではないようです。
「今日の葬儀では素晴らしいお経とご法話をありがとうございました。おかげで主人も安らかに旅立っていけたと思います」
住職 「仕事ですから」
「ウチの○○ちゃんは人見知りで、保育園に行ったら泣いてばかりいるんじゃないかと心配でしたが、毎朝”今日も△△先生と遊べるね。楽しいね”って言うんです。いつも良くしていただいてありがとうございます」
保育士 「仕事ですから」
ぶち壊しになっちゃいますね。
なぜそうなのか、両者の境い目はどこかは何となくイメージできます。
ただおそらくですが、世の中の仕事の過半数は前者。普段やっていることは社会や組織を恙なく回すのに貢献しているんだけど、周りからはそれが当たり前だと思われて滅多に賞賛されることがない。
だからたまには感謝されたいんですよ、我々は。
ちなみに「趣味」ですけど、こっちは同じ趣味を持つ仲間の間では
「わーい!」 「すごーい!」 「たーのしー!」
って言葉が飛び交っていると思います。だから趣味は大事だと思うのです。
6.インドの山奥についての考察・・・16/05/26
これまで日本でどれだけ変身ヒーロー番組が作られたか知りませんが、その嚆矢が
月光仮面 1958年(昭和33年) KRT(現TBS)系
だってことは皆さんもご存知でしょう。
生みの親はご存知 川内康範(1920年〜2008年)先生ですが、川内さんはこの作品のヒットを受けて
七色仮面 1959年(昭和34年) NET(現テレビ朝日)系
アラーの使者
1960年(昭和35年) NET(現テレビ朝日)系
も手がけています。 またその後10年以上経ってから、
愛の戦士レインボーマン 1972年(昭和47年) NET(現テレビ朝日)系
も作りました。
この中でパイナップル頭でフルフェイスマスクの「七色仮面」はやや外観テイストが異なりますが、他の三人の見た目の印象はかなり近い。それは
「頭にターバンを巻いている」
からでしょう。
ターバンには色々種類がありますが、ああいうタイプのターバンを巻いている人々は誰かとなれば、私達の一般的なイメージは「イスラムの人」「インドの人」でしょう。
その意味で「アラーの使者」はタイトルもズバリで違和感ないのですが、「月光仮面」「レインボーマン」については引っかかるものがある。
そもそも川内康範さんは日蓮宗の寺に生まれたそうで、「月光仮面」も「レインボーマン」も設定の中に仏教色が感じられます。
「月光仮面」についてのメモ
・善人悪人区別なく降り注ぐ月光を象徴した月光菩薩がモデル
・月光菩薩は日光菩薩と共に薬師如来のサポート役を務めている。だから悪人を懲らしめても裁きはしない。もし裁くのならそれは薬師如来の役目
・なぜ「正義の味方」と言うか。それは菩薩だから
如来=悟りをひらいた仏様。有名どころとして阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来など
菩薩=如来になるべく修行中の仏様。観世音菩薩、千手観音菩薩、文殊菩薩など
「自分はまだ修行途中の菩薩クラスなんでレベル60くらいかな。自分が正義と言うにはせめてレベル80を越えないと」といったニュアンスを感じる
「レインボーマン」についてのメモ
・インドの山奥で修行した。お釈迦様が生まれたのはインド(正確には現在のネパール)
・師匠はダイバダッタを自称する老人。「提婆達多」は釈迦の弟子であったとされる人
・変身の際「あのくたら さんみゃく
さんぼだい(阿耨多羅三藐三菩提=この上もなく正しく等しい悟り)」と唱える。これは般若心経などにも登場するフレーズ
このようにかなり仏教色の強い両者ですが、ではなぜターバンなのかと言えば、「レインボーマン」の場合は
仏教だからインド → インドだからターバン
という理屈なんでしょう。でもこれは色んな意味で間違ってます。
「仏教だからインド」ではない
確かにお釈迦様はインドで生まれ、仏教がインドの国家宗教となっていた時代もありました。だがその後衰退し、現在インド国内の仏教徒の割合は1%にも満たないそうで、全体の8割がヒンドゥー教徒です。
「インド人だからターバン」ではない
インド人の見た目のイメージと言えばターバンですが※、あのような形のターバンを巻くのは「シク(シーク)教徒」です。その人口割合はインド全体の2%程度で決して主流ではないのですが、「シク教徒」
にはカーストもなく海外に進出して活躍する人が多かったので海外から見たインド人のイメージとして定着したみたいです。
ちなみに「タイガー・ジェット・シン」もシク教徒だそうです。
※例えばインドカレー屋のBGMで画像検索
以上考察すると、「レインボーマン」がターバンを巻いて「あのくたら さんみゃく さんぼだい」と唱えるのはかなり無理があると思うのです。
長々と書きましたが、結局何が言いたいのか。
昔作られた荒唐無稽の話にいちゃもんつけたのはもちろんただの「突っ込み」で、今更どうにもならないことはわかっています。
ただこれからこの種のドラマを作ろうとしたら、必ず海外の人の目に触れるだろうことを考えると、「人種」「民族」「宗教」については誤解のないように十分気をつけなきゃいけないでしょうね。
今この瞬間も世界では様々な争いごとが起きていますが、その原因に「人種」「民族」「宗教」が絡むケースはものすごく多い。
争いごとを鎮め、平和な世界を取り戻そうとする正義のヒーローが民族のアイデンティティーや宗教に気を配らなかったとしたら、正義の味方自身が争いの火種になりかねない。
またいくら悪の組織とは言え
「♪日本人はじゃまっけだ〜 死ね死ね死ね死ね」
と歌うのもかなり危険。
そういう意味で「レインボーマン」のリメークは考えにくいし、もし作ったとしても相当つまらないものになりそうです。
当時のドラマは節操のなさや過激さも魅力だったのですから。
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なお「♪インドの山奥で〜、修行〜し〜て〜」ですが、仏教の中で比較的そのイメージに近いのは密教(日本では真言宗と天台宗)でしょうか。
行者姿で法螺貝吹きながら山中で修行する「修験道」も、密教と日本古来の山岳信仰とが結びついたものだそうですし、最も厳しい修行として知られる比叡山延暦寺の「千日回峰行」も、延暦寺が天台宗と知ると納得です。
ちなみにここ新潟にはお寺が三千近くありますが、宗派となると「真宗大谷派(800超)」「曹洞宗(800超)」が飛びぬけて多く、「浄土真宗本願寺派(300弱)」「真言宗豊山派(200超)」「真言宗智山派(200弱)」と続きます。ちなみに天台宗は20以下。
私は「真言宗豊山派」。
皆さんは仏壇の前でどんな念仏(お題目)を唱えるでしょう。お題目としては「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」が良く知られていますが、もし「南無大師遍照金剛」と唱えているのなら、私と同じく真言宗だと思います。
ちなみに「四国八十八箇所巡り」ではお遍路さんが羽織る白衣の背中に「南無大師遍照金剛 同行二人」と書いてありますが、八十八箇所のお寺もほとんどが真言宗系ですね。
同行二人(どうぎょうににん)は真言宗の開祖 弘法大師(空海)と一緒という意味です。
私は年始やお盆はもちろん、それ以外にもたまにお寺に遊びに行ってご住職さんとお話しすることもあります。
本来はちゃんと修行しなくちゃならないんだろうなと思いますが、
「じゃあ年に一度は山篭りするかね」
なんてことになったら、それは勘弁してくれ。
今は工作室に「篭って」模型の楽しさを「布教」することが私の「修行」です。目指せ「工房大師」。
(上手く落ちがついた)
5.宇宙に羽ばたく快男児・・・02/07/20私が子供の頃に見ていたヒーロー番組・特撮番組などがビデオレンタルショップに置かれています。若い人たちは伝説のその番組を初めて見るのでしょうが、私の場合は「再会」です。
で、今ナショナルキッドを借りて見ているんですが・・・、これは子供の頃は最上質と評価していた番組でした。
ではまず、お約束の「つっこみ感想」をやってみましょう。
○第一話では子供達(少年探偵グループ)が、ナショナルキッドの歌を歌いながら登場。
・・・・君たち、どうしてその歌を知っているのかね。
○敵役インカ金星人の女首領アウラのセリフ
「これは何でも溶かす万能溶解液です。」
・・・・おーい”万能”溶解液をビーカーに入れて持ってくるなよ。ビーカーが溶ける!
スポイトで吸い出すな!スポイトが溶ける。
○同じく女首領アウラ 「ナショナルキッド諸共、円盤一号艇を爆破するのだ。」
・・・・なんてわかりやすいネーミングなんだ。
○同じく女首領アウラ
「地球人がどれだけ我々を恐れているか、宇宙映像機で見せてやる。」
・・・・わかりやすいぞ。
○同じく女首領アウラ 「これは殺人光線銃だ。その恐ろしさを見せてやる。」
・・・・ホントにわかりやすい。
○同じく女首領アウラ 「私が十(とお)数えたあと
このスイッチを入れれば、東京はこの地球上から消え去るであろう。
ワン、 ツー、 スリー 」
・・・・十(とお)って言ったんだから、いち、に、さんって数えろよ!
○同じく女首領アウラ 「では今から宇宙人会議を開催する。」
・・・・自分たちで宇宙人って言うな。
○「私は火星国代表 ドン・アトリシム※です。」
・・・・そんなストレプマイシンみたいな名前でいいのか?
○ドン・アトリシン
「はっはっはっ。火星人の私には火焔銃アルファは効かないのだ。」
・・・・火星人だから火に強いってか。じゃあそこにいる木星人、土星人、それにインカ金星人は何に強いんだ。
あのときあんなに夢中だった番組が、実はこんなに安っぽいものだったなんて・・・と、少々つらい思いをしながら見てるんです。でもいいのです。少なくともあのときの私は、毎週この番組を心待ちにしていたし、ワクワクしながら楽しんでいた。それで十分じゃないですか。
それにしてもあらためて思うのが、当時の社会・・・。町並みが古いとかそういうことじゃないんです。
○あの頃の言葉遣いの礼儀正しいこと・・・例えば子供同士でも「早くナショナルキッドのおじさんを呼んでくれたまえ」などと会話しているし、インカ金星人でさえ言葉は丁寧である。
○大人は大人であり、子供は子供であること・・・主人公(キッドに変身する)は20代半ばと思われるが、子供達はしっかり大人側の人、つまり「おじさん」として信頼している。
などに感心します。
たかが40年前の話なんですが。
※追記:「ドン・アトリシム」役は仮面ライダーの「地獄大使」でおなじみ、潮健児さんだということをパズー親方から教えていただきました。潮健児さんは物故されていますが、東映の任侠映画の出演が多かった人ですね。
4.癒し系ウルトラマンも悪くない・・・01/10/06毎週土曜日夕方にウルトラマンコスモスが放映されています。平成ウルトラマンシリーズは「ティガ」「ダイナ」「ガイア」と続き、一休みのあと「コスモス」です。
ま、私は「ウルトラマン」などからは卒業し、子供に合わせて見ているだけですが(←ウソつけ)、これについて一言述べさせていただきます。
まず、前の3部作の感想を・・。
「ティガ」・・・すばらしかったですね。久しいぶりのテレビシリーズということで、世界観の設定などもきちんとしていました。ヒーロー、ヒロインも好みで、明るすぎず、暗すぎず、深い。最終回に向かって話が盛り上がり、(ちょっとクササはあると言え)感動を呼びました。
「ダイナ」・・・一転して「おちゃらけ」方向に振られました。子供は楽しめたのではないでしょうか。放映後ヒーローとヒロイン役が、本当に「ねんごろ」になったのはマイナスポイントですが。
「ガイア」・・・はっきり言って最後まで「良くわからん」でした。暗いし・・。根元的破滅招来体・・何だそりゃ。
このようにシリーズが変わる度に方向性も修正・転換(テコ入れとも言う)がなされるのは、視聴率、グッズの売り上げ。世相など様々なファクターに影響されるテレビシリーズの宿命とも言えましょう。
さて「コスモス」ですが、新シリーズを心待ちにしていた(しまった!)私としては、放映が2回、3回と重なるに連れ、だんだんと凹んでしまったのは事実です。
コスモスで「科学特捜隊」に相当する「組織」の怪獣に対する基本スタンスは、「まず観察」→「危険かどうか検討」→「危険でない場合は捕獲・保護」→「どうしても時は駆除」
となっています。まるで絶滅寸前動物の保護団体です。
「怪獣悪い奴、暴れる奴」で育った私にはなかなか馴染めないものでした。
だが、子供の反応がエラク良いのです。毎週楽しみに待っていることはもちろん、ストーリーの部分でも目を離しません。認識が変わりました。
ウルトラマンは私たちにとっても懐かしいヒーロー、大人の目も意識せざるを得ません。それがウルトラマンという資産の価値であり、難しさです。だが今回のシリーズは、きっちりと子供をターゲットにしているように見えます。意外とすばらしいシリーズとして評価されるかもしれませんね。
3.ウルトラマンは裸なのか・・・01/10/06子供に付き合ってウルトラマンを見ていると(←まだ言うか!)、つい疑問に感じるのが、ウルトラマンの体の模様である。
あれは皮膚なのか、衣服なのか・・・。あるいは彼らの顔は、素顔なのか、ヘルメットなのか・・・(背中のチャックとか、そう言う無粋な話はパス)。
皮膚・素顔ではないかと思われる根拠
@ ティガは、怪獣に咬まれて怪我したとき、すぐ傷が回復するそうで、シーンが変わると傷口はすでに見えなくなっている。
A ティガ以降のウルトラマンは、いくつかのタイプに変身するが、その都度模様が変わってる。コスモスなどは顔の形さえ変わる!
B ウルトラマンはサイズを自由に変えられるが、衣服なら切れてしまうだろう、ヘルメットなら顔が締め付けられる。
C ウルトラの父と、ウルトラの母の実の息子というウルトラマンタロウの両耳には、父譲りの大きなホーンがついている。遺伝か?・・・だが、タロウの顔や全体のイメージは、どう見てもセブン系だ。浮気か?
ちなみにセブンやタロウの肩から胸にかけての鎧風のものは「プロテクター」だそうで、ここは明らかに体の一部ではない。なお、カラーターマーは後から手術で埋め込まれたものと考えられるので、その点矛盾はない)。
衣服・ヘルメットではないかと思われる根拠
@ セブンはアイスラッガーを必殺武器にしている。アイスラッガー自身は体の一部ではないことは確実だが(新シリーズでキングジョーを倒した際、アイスラッガーが欠けている)、もしこれを回収する度に頭に刺していたのなら、相当痛いだろう。
A
少なくとも文明を持つ限りにおいて、素っ裸でうろうろすることは考えにくいのではないか。
ここで特にAは重要である。人は服を着るが、その目的は寒さや日光から体を守るだけではない。衣服はその人の置かれている立場、職業、地位、性格、好みなどを他人にプレゼンテーションするためのツールである。
いや、それ以上に、衣服には恥ずかしいところを隠すためであるという、アダムとイブの時代から受け継がれてきた大事な目的がある(服を着てしまって普段見えなくなったから、見えたら恥ずかしいのかもしれないけどね)。
よく「宇宙人が発見された!」などと怪しげなテレビ番組で画像が紹介されるが、その多くが裸である。すでにこの時点でこの話は怪しいと思う。
もしあなたが、一人で遠い星(環境は安全)に降り立ったとする。回りにだれもいなくても裸でうろうろするか?ウルトラマンも文明を持っている「種」なのだ。しかも6兄弟で戦うときもあるのだ。
最も、奥さんに言わせれば、「光の国は文明が高度に進んで、羞恥心の概念がなくなったのじゃないかしら。」なんだそうだが・・。
結局この考察は意味がないことに気付いた。
ウルトラマンは色が変わる・・おー、すごい。
セブンはアイスラッガーを投げる・・ひゃーかっこいい。
要するにそれだけの話であって、これは整合性云々の問題ではないのだ。
「最初からスペシウム光線使えばいいのに・・。」と思ってもいけない。ヒーロー番組はもっと素直に楽しみたいものだ。自戒の意味も込めて・・。
2.「艦長!これ以上傾斜したら、艦が転覆します!!」・・・01/6/30
パールハーバーが話題になっている。6月はじめにいち早くこれを見た「ツインスター」メンバーの「けんた」さんによれば、
・・日本の兵器工場(東京)には入り口に「兵器工場」と漢字で書いてあるし、でてくる日本の女の人は芸者のようだし。
と、日本人にとっては突っ込みどころ多彩とか。
ただ、これは映画のことであるから、見る人にすばやく状況を理解してもらうための方便だと、一応好意的に解釈したい。
ドラマなどで、
「おはようございます。」 「あら、お隣の鈴木さん。」
などの会話があると、
「言わないぞ〜、俺はお隣の坂本さん(仮名)と会っても、そうは言わない。」
と心の中で突っ込んだりするが、それはそれでいいのだ。
もうちょっと実例を挙げてみよう。
その1・・・アニメの鉄人28号
●秘密結社、PX団の潜水艦は、司令塔に「PX」と書いてある。
●S国のスパイ組織に所属するメンバーは胸に「S」と書いてある。
●それにS国のスパイ組織のメンバー同士の会話、「ボス、どうも旗色が悪いですぜ。第二秘密基地に移動しましょう!」・・・普通、内輪では「秘密基地」とは言わないでしょう。
その2・・・我が家では
NHKで天体の番組をやっていたりする。奥さんもこっち方面が好きなので、画像を見ただけで、馬頭星雲だのM13星団だとかわかるみたい。大したもんだ。で・・、
奥さん |
「でもM13星団なんていったって、そこに住んでる人は自分たちが ”M13星団人”だとは思っていないわよね。」 |
私 |
「ウルトラマンもM78星雲から来たと言っているが、地球に来たとたんにどうしてわかるのかな。」 |
奥さん |
「SF映画で ”ワレワレは宇宙人だ” と言うけど、絶対本人は言わないわよ。」 |
私 |
「西部劇のインディアンも自分から ”インディアン、ウソつかない” と言うわけがない。」 |
奥さん |
「アイスクリームのエスキモーはどうなのかしら。」 |
私 |
「エスキモーは確か白人が”生肉を食べる人”と言う意味でつけた名だよな。だからそれを嫌って今はイヌイットだ。だけど生肉を食べるのも文化だから、決してよその国からどうのこうの言われる筋ではない。俺達も”生魚を食べる人”だしね。”デビルフィッシュを食べる人”でもあるし。」 |
なんて会話が交わされたりする。
最後に今回のタイトルについて・・。
これね、「宇宙戦艦ヤマト」の会話ね・・。
1.「ゴジラ」音楽の伊福部昭と言えば・・・01/1/6伊福部昭と言えば、「ゴジラ(1954年)」の音楽でモデラーにはあまりにも有名だ。映画音楽は昭和22年から数多く手がけている。東宝作品が多いが、大映の「大魔人」や東映動画の「わんぱく王子の大蛇退治(1963年)」もそうで、全体に流れる音はまさに
「伊福部!」 である。
もとはちゃんとした(ゴジラがちゃんとしていないわけではないけど)作曲家で、非常に日本的な、どこか懐かしさを感じる曲を作っている。
私の家に「土俗的三連画(1937年)」という名の曲のレコードがあるが、途中にどう見てもゴジラのテーマとしか思えないフレーズがあって、困ってしまうのだ。本当に困ってしまうのだ。
「ゴジラ」のテーマは途中で拍子が変わる、いわゆる”変拍子”の曲だ。わからない人は、”ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ”と歌いながら歩いてみるといい。途中で右足と左足が反対になる。
ゴジラが世界的にもファンを広げた背景には、曲の力もあると思う。先ほど日本的と言ったが、雅楽などの飛鳥・奈良・平安風ではない。どちらかと言えば縄文的である。
伊福部昭の曲風のルーツはどこにあるか、色々と考えているのだが、”あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、・・”あたりが何となく匂うのだが、どう?・・似ていない?
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