こだわり道場過去ログ 模型編・・2

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30.「プラモ作りは世界の平和に貢献する」・・・15/9/1

日本で模型作りを日常的に行っている人が何十万人いるかは知りませんが、世の中に色々な趣味や楽しみがある中、よりによって彼ら(私含め)はなぜ模型をやってるんでしょう。
誰かに誘導されたわけでもなく自然にそうなった、つまり「性に合っていた」と言ったら話はおしまいですが、やっぱりその理由を考えてみたい。

この考察は自分のためでもあります。2000年の末にホームページを公開してから15年になり、おかげでこの世界に知人・友人がたくさんできたし、そもそもやっていること自体も楽しいのですが、模型作りや更新に日々かなりの時間とエネルギーを割いているのも事実。
時々「こんなこといつまでやるんだろう」と考えることもあり、たまにはその意義を腰をすえて考えてみないと不安になるんですね。

以下、箇条書き風にまとめて行きます。乱暴な論理の飛躍もあると思いますが、細かく書いていくと文書量が膨大になってしまうので、その辺は差し引いて読んでください。

 

まずは現状認識。

模型とは何か

模型は何らかの対象物をまねて具象化したもの。対象物に限りなく似ていることが歓迎される。遊んだりもできるが、主に制作する過程と完成時の達成感を得、完成後に眺めたりするもの。
これに対し、おもちゃは自然法則を理解するため、あるいは文化・社会生活へ適応するためのトレーニング(ごっこ遊び)などに有用なもの。大抵はいじり壊されていく。

プラモとは何か

プラモは模型の一種。金型にプラスチックを流し込んで作られるため、「精密」「大量生産可能」「可動・電動可能」「スキルがなくても完成まで持っていける」などの特徴がある。 耐久性は良いとは言えず、長期コレクションには向かない。

何がプラモの対象になるか

人体・動物・昆虫・恐竜・妖怪・ゾンビ・大名行列・建築物・楽器・家電・家具・餃子・果ては便器まで形あるものなら何でもプラモにはなるが、それらは主流ではない。出せば売れた時代はともかく、少なくとも今は継続的に新製品は出ていない。
プラモの主流は明らかに機械。それもここ150年以内に作られたものと架空のものが対象となる場合がほとんど。

機械とは何か

目的を持った人工的製作物。その助けを借りると生身の肉体ではできない力や能力を発揮し、社会に何らかの影響をもたらす。

なぜプラモの多くが機械なのか

人間の力・能力を飛躍的に増大してくれるから。その機械を使えば自分がスーパーな存在になれるから。

スーパーな力を得る方法にはどのようなものがあるか

 ・もともと持っていた力が強力だった  (スーパーマン)
 ・あるきっかけにより魔法の力を手に入れる  (多くの魔法少女)
 ・遺伝子操作や薬によって超人・超能力者になる  (スパイダーマン)
 ・記憶や人格を機械にコピーする  (8マン)
 ・肉体改造  (サイボーグ009)
 ・体を鍛えたり特殊グッズを活用する  (バットマン)
 ・パワードスーツを着用する  (アイアンマン)
 ・強力な機械を外から操る  (鉄人28号)
 ・機械に乗り込む  (実在兵器・キャラクターメカ・レーシングカー)

この中では下に行くほど機械的=現実的=模型的である。

機械にはどのようなものがあるか

機械は目的別に大きく二つに分類される。

A.日常生活を便利に・効率的にしてくれるもの・・・自動車・バイク・旅客機・客船・鉄道・工具・家電・通信機器・工作機械など。お金があれば買えるものも多い。
 
B.効率的に大規模に破壊や殺傷ができるもの・・・銃器・戦車・軍艦・軍用機・キャラクターメカなど、いわゆる兵器。所有者は大抵国家または軍隊で、個人が入手するのが困難なものが多い。

模型屋ではどちらが主流か

兵器がスペースの多くを取っている。兵器は実際に存在するものと架空のものに別れ、架空のものの中にはガンダムという特別な商品群があるとは言え、日常機械との差は大きく開いている。

なぜそうなったか

 ・パワーの増幅度合いは兵器の方が上だから
 ・人は非日常にあこがれるから
 ・歴史や物語との親和性が高いから
 ・コミック、アニメ、映画とコラボしているから

などが考えられる。

主に男子がプラモを作るのはなぜか

より強い力や能力を発揮し、獲物を多く捕らえたり敵を駆逐したいという本能は太古の時代よりオスに受け継がれていたから。
だから人の力を増幅させるアイテムとしての機械・武器を男の子は好む。ただしそれらは現実には手に入りにくいため、模型を作ることで擬似的満足を得ることができる。

 

ここまでのまとめ

特に男の子の場合、力の増大を好ましいと感じる本能があるため、より強大な力をイメージできる兵器類に心引かれる場合が多い。

 

プラモの中でも、好みのジャンルが分かれるのはなぜか

理由としては三つほど考えられる。

@情報との接触機会

幼児期から今までの人生の中でどのジャンルの情報に多く触れ、それのどこに心動かされたかがその後の好みのジャンルに影響する。

 ・幼児前期(1歳〜3歳)・・・日常目に触れることの多い乗用車や消防車、旅客機、新幹線などに興味を持つ。
 ・幼児後期(4歳〜6歳)・・・テレビ・ゲーム・アニメ・コミックなどを通して架空の武器・兵器に興味を持つ。これらは現実のものではないことから親は買い与えることに対してあまりアレルギーを持たない。現実の兵器は特に母親に嫌われる傾向があるため、幼児期にこれに親しむ機会は架空兵器ほど多くはない。
 ・学童期(6歳〜12歳)・・・社会に目を向けたり、歴史を勉強したり、大人向けのコンテンツを知ることで、現実の兵器に興味を持つ者が出てくる。

その後は個人の成り行きしだいだが、車やバイクに関しては免許が取れる年齢に達すると再び興味を持つ者が増えるだろうと思われる。

A力の増幅割合

 ・日常目に触れる機械類・・・力の増幅度合いは現実的である。
 ・現実兵器・・・力の増幅度合いは強力であるが、実際の物理学法則の範囲に納まっている。
 ・架空兵器・・・架空兵器は脳内妄想であり、そのパワーに制限はない。星を破壊することもできる。

B美的要素の付加

日常使う機械の多くは商品であり、消耗品でもある。一度それを購入して消費者が満足すれば誰も新製品を必要としなくなり製品提供者の売上が停滞する。それではまずいので提供者は製品に新たな魅力を加えて買い替え促進を行うのが常套手段。

その方法として
 
 ・革新的な新技術を開発する
 ・基本性能を向上させる
 
などもあるが、それは簡単ではないため、
 
 ・機能を追加する
 ・外観に美的要素を入れる
 ・広告宣伝によって新製品が良いものだと思わせる

などを行い、今使っているものが「ダサい、古い、持っているのが恥ずかしい」と思わせる。
この活動により多くの消費生活製品は「かっこよく、カラフルで、新鮮で、持つことが嬉しい」ものになる。
車やバイクの模型を主な制作ジャンルにする人は、これら美的要素(デザイン性)に強く惹かれるのではないかと思われる(少なくとも私はそう)。

これに対し現実兵器は大規模に破壊や殺傷するための機械。性能や耐久性が優れていれば目的に適い、長く使い続けられて予算も抑えられる。一般に売るものではないから「かっこよくしよう」「カラフルにしよう」「広告を打とう」などという発想はない。
ただし一つの目的を追求し、性能を限りなく高めてゆく過程で現物が「かっこよく」なってしまうことは十分ありうる。
兵器を主な制作ジャンルにする人は、いわゆる機能美に強く惹かれるのではないかと思われる。

架空兵器はそのほとんどがゲーム・アニメ・コミックなど架空の世界観の中で作られる。実際に機能する構造になっているかは重要ではない。このため自由に見た目のかっこよさを追求することができる。 多くの人がこのジャンルを好むのもうなづける。

消費生活製品も最終的には戦いに帰結する

消費生活製品の中でプラモの確立したジャンルとして認められるものに車・バイク・旅客機などがある。

例えば車の場合、
 ・足が速くなる・・・遠くに短時間で行ける
 ・力が強くなる・・・たくさんの荷物を積んで移動できる
 ・かっこよくなる・・・かっこいい車に乗る自分は外から見てもかっこいい
 ・財力がある・・・高い車に乗っている人は財力がある、もしくは財力があると理解される

など自分の能力や魅力を拡大させる効能がある。特にスーパーカーにはその傾向が強い。
例えばフェラーリを手に入れたとしても通常の環境では通勤時間が半分になるわけではなく、通常その能力は宝の持ち腐れになる。 ただしスピードが出そうな外観、目を引くカラーリング、認知されたブランドなどは、それを所有することでライバル(=他のオス)に差をつけることができ、メスを獲得する「戦い」の中で有利になる(=もてる)ことは事実。

さらにレーシングカーは速さを競うことに特化したもの。直接相手を攻撃するものではないが、ライバルを「屈服させること」を目的としている。どちらかと言えば武器に近い立ち位置。

・・・・・・・・・・・・・

以上です。

あらためて思うことは、特に男性は暴力・戦い・勝利・狩りなどに対する本能的憧れを持っているんじゃないかということ。だから実際の社会でも困った時は戦争で解決しようとしたくなるんじゃないか。
 
それによる悲惨な結果を避けるため、人類は”本能に逆らってでも”戦争を起こさない仕組みを考え続けている。
その代表的なものはスポーツ。例えば昔ギリシアで行われていた古代オリンピックでは、大会期間中は諸国間の戦争行為の禁止が守られていたそうだが、だったらそのまま休戦を継続しろよとならないところが人間のどうしようもないところ。

子供向けヒーロー番組にしろ、ゲームにしろ、その多くに戦いの要素が詰まっているのも、そしてプラモで兵器を作るのも、擬似的戦争行為で本能を小出ししながら本当の戦争を避けようとする安全装置なのかもしれません。

だからプラモを作る人が増えれば、世の中の平和に少し貢献できるんではないかと言うのが今日の所の結論です。

「いくらなんでもそれって強引すぎない?」
って言われそうですが、そう考えないと私もこのようにプラモなんか作っていられませんよ。

ただし今回の考察はあくまでも2015年時点でのもの。また数年すれば考えも変化するかもしれません。



29.「
閲覧の多いジャンル」・・・15/3/7
2000年暮れに開設してから14年経過したこのサイトですが、2015年の2月にocnのホスティングサービス停止によってやむなく引っ越すことになったことは、時々見に来られている方ならご存知の通りです。
でもそれにより容量の縛りがなくなり、完成品画像を大きくできたのは良かったです。また主要ページにはカウンタを設置したので、サイトのどのページが良く見られているかが判るようになりました。

一番知りたかったのは、どの完成品の閲覧が多いかですが、一ヶ月ほど観察して大体傾向を掴むことができました (→)。
新しい作品のアクセスはどうしても多めになりますが、その傾向を除外しても大体こんなことが言えます。

◇◇ 良く見られる傾向がある ◇◇
 

・ちょっと古いレーシングカー
・国産旧車
・GT/スポーツカー
・スーパーカー(フェラーリ、ランボ)

◆◆ 人気がない ◆◆
 

・痛車
・アニメをテーマにしたもの

痛車やアニメ系は作るのに手間がかかりますし、自分でも好きな分野なので残念な思いがあります。ただ、もしかしたらそうだろうなとは予想もしていました。

2009年、連続で6台も痛車を作ったことがありましたが、ある日掲示板に書き込みがありました。 キャッシュは取っていないので記憶頼りですが、確かこんな内容だったと思います。

 「これまでとすっかり方向性が変わってしまいましたね。長い間ありがとうございました。さようなら」

14年間やってくればたまにはガクッと来ることもありますが、この書き込みは残念だった思い出ベスト5の一つに入る出来事でした。と言っても、その人の気持ちもわからないでもないですが・・・。

あの時なぜ多くの痛車を作ったか。それは、

・知人から製作依頼があった
・メーカーからデカールをもらった
・そもそもアニメは嫌いではない

などが重なってのことです。もし製作依頼がなければ痛車と言うジャンルに足を踏み入れることはなかっただろうし、メーカーも私にデカールをくれなかったような気がします。
このように「痛車」は自分から自発的に始めたネタではないものの、色々なことが体験できて、今振り返ってもやってよかったと思ってますよ。

痛車ブームをきっかけに普段あまりプラモを買わない人も久しぶりに模型屋に足を運んだはず。その人たちに完成見本をお見せすることは、このサイトの運営目的の一つである「模型人口を増やす」にも合致していますし。
ただ、最近のキットやデカールの発売状況を見てもブームは山を越えており、展示会でも新作を見ることは少なくなりました。ブームをきっかけに模型作りを始めた人がいたとして、その中で何割が”残った”かはわかりません。でも実物の痛車同様、プラモでも本当に痛車が好きな人はこれからも作り続けるでしょう。

さてここでちょっと真面目に「模型人口を増やす」について考えてみます。

そもそも「模型人口」とは何か。 また「増やす」とは「過去最大まで増やす」のか「減った分を元に戻す」のか、あるいは「自分の周りの人を模型作りに誘う」ことなのか・・・、 などをはっきりさせないといけませんね。

まず私の考える「模型人口」とは「模型を定期的に作っている人の数」です。
ここに彫刻・彫塑・手芸・陶芸・七宝焼き・人形作りなどは入りません。ドールハウスはギリギリ入ります。
フィギュアの収集は入りませんが、ガレージキットの組立・塗装は入ります。
「フィギュアは模型かよ」
と言われそうですが、相手が架空のアニメであっても、再現したい対象物があれば模型です。

「増やす」は「今よりも少しでも多くしたい」です。
また増やしたい対象は主に若い人です。年配者に声をかけても今更そんなには増えないだろうし、そもそも模型人口を増やしたい理由は、子供の頃から「工作」をやっていれば将来日本の第二次産業(製造業)のレベルアップに貢献できる人材が増えるだろうと思っているからです。
「小子化対策」だって、どうやって若い人が安心して家族を増やせるかがメインでしょうし。

そのための手段は電子工作でも犬小屋作りでもかまわないと思いますが、たまたま私には「カーモデル」以外にお伝えできるものがないので、それを手段にしているだけです。

そこでアクセス数の話に戻りますが、主に若い人が興味のありそうなカーモデルとなるとジャンルは自ずから絞られてくるでしょう。それがおそらく今アクセス数が多い作品群、つまり模型人口が多くなる可能性の高いジャンルだと理解しています。

例えば、
 
・アオシマのアヴェンタドールなどの最新スーパーカーキット
・GT-R、180Z、86/BRZなどの走り屋系、できれば新しいキット
・上ともかぶるが、頭文字Dや湾岸ミッドナイトに出てくる車
・渋い国産旧車
・街道レーサー

などは、どれを作っても「はずれ」はないでしょうね。
また素組みも良いけど、私に対しては改造もニーズに含まれていると思います。

こうやって絞り込んでいくと、例えばですが、

「FD 3S RX-7のフルエアロ、さらにシザードア(ガルウイング)に改造」

などは最強ネタになるでしょうねえ。

趣味だからこれからも自分の 思うように楽しんでいくつもりですが、「ニーズ」はいつも頭の片隅にあります。そういうことを意識していないとマンネリにもなっちゃいますし。
 



28.「売れるんなら何でもOKよ
」・・・09/09/04

現在「痛車」というのを作っています。

「萌え」とか「メイドカフェ」でしたら、もうすでに一般的な言葉になっちゃいましたが、「痛車」については知らない人もいるでしょうね。

ごく簡単に定義すれば「痛々しい車」。
自分の愛車にアニメやゲームなどの美少女キャラの超大型ステッカーを貼り、周りの人が思わず「痛たたた・・・」と思わずにはいられないほどの感覚に仕上げたものを指します。

車のドレスアップの方法としては、これまでもエアブラシで女性の絵を描いたり、メーカーロゴを貼りまくったりすることは行われています。またアニメをあしらったものとしては「ラッピングバス」あるいはピカチュウの絵が描かれた旅客機などもジャンル的には近いように見えますが、やはり根本は別ものですね。

また、アニメなら何でも良いわけではなく、例えば宮崎アニメの主人公が使われていても痛車とは言えない感じがしますし、高橋留美子のキャラでもおそらくダメ。
セーラームーンならどうかと言われたら、これはもしかしたら「あり」なのかもしれませんが、多くの人は違うと判断するでしょう。 どちらかと言えば微妙にマイナーで、オタッキーなテイストが色濃く漂っている素材でないとダメなようです。 
痛車は別名「萌車」とも言うようですから、まあ結局そういうことです。

8月の中日新聞に、アオシマの痛車に関する記事が出ていました。 アニメのデカールを作って既存の車プラモに組み合わせることで、通常なら5000でヒットと言われる販売数が、「涼宮ハルヒの憂鬱RX-7」の場合は累計販売数が1万を超えて異例の売れ行きだとか・・(※)。
プラモ人口が昔に比べて減っていると言われている中、理由は何であろうと売れ行きがアップするなら乗らない手はないわけで、アオシマ以外にも各社が痛車関係商品を出すのもわかります。

※・・・新聞記事の中には「売り上げは普通の車のプラモデルの5倍以上」という表現もありました。痛車プラモは単価が高いので数と金額はそもそも一致しませんが、ちょっと整合性がわからないな。

それよりも私がびっくりしたのは、5000とか1万という数字の少なさです。ガンダムプラモは昨年の段階で販売累積数が4億個を超えたとのこと。これまでのアイテム総数を仮に800と推定すれば、1アイテムあたりの販売個数は何と50万になってしまいます。 比べることすらできない数ですね。

ガンダムはちょっと別物としても、プラモデルを作る人、特に作る子供が減っている中、メーカーは様々な方法で盛り上げを模索しています。 
例えば最近各社が力を入れている1/350艦船模型、エッチングパーツまで買い揃えればものすごい金額になっちゃいます、完全に大人対象の商品ですね。 
1/48戦車シリーズも1/35に比べて安価で作りやすく、新しいコレクションの拡大を期待しているんでしょう。 
痛車の(おそらく)思いがけないヒットも、メーカーにとっては干天の慈雨みたいなものかな・・。

「何だこりゃ」と眉をひそめる人もいるかもしれないが、とにかくメーカーに元気がなければ私達も困るわけで、痛車だろうが痛飛行機だろうが、痛戦車だろうが、売れるものなら何でも作ってちょうだいって思ってます。

で、痛車を何台か作ってみると、これが実はなかなか難しい。
カーモデルの制作の中で特に経験やスキルが必要な工程は塗装とデカール貼りだと思いますが、痛車のデカールは大判なものが多く、これを曲面にきれいに貼るのは簡単ではないのです。 
痛車がヒットしたと言うことは、普段あまりプラモをやらない人も作っていることにつながりますが、かなりの人たちがデカール貼りで苦労していることでしょう。

「痛車」ブームがいつまで続くか・・・上手く行けばジャンルとして一人立ちしていくかもしれませんが、一通りアイテムが出揃った今、これからはデカールの貼りやすさだけでなく、キットの設計まで含め、誰でもちゃんと作れるような開発方向が必要だと思うな。

そもそもカーモデルの場合、はっきり言ってこの20年くらいは本質的な部分で何も変わっていない気がするから・・・。

 

27.模型は「趣味」じゃありません・・・07/10/12今私の目の前に一つの冊子があります。250人ほどの企業経営者の考え方を紹介しているものなのですが、各社長さんのプロフィールも紹介されていて、趣味を自分で説明するスタンスに違いがあって興味深いです。

良くあるのが音楽鑑賞 読書 ゴルフ 釣り スポーツ 旅行 映画などですが、一口に音楽と言ってもジャンルや楽しみ方は千差万別。サルサの好きな人と浪曲が好きな人とではなかなか共通の話題も見つからないでしょう。そもそも音楽に全く縁のない人は少ないと思うので、「趣味:音楽鑑賞」ではほとんど何も伝わって来ないなと感じました。

一方こんな書き方をしている社長さんもいます。

ジャズ鑑賞 生物と一緒にいること 草野球(40年) 福助人形の収集 歴史書 考えること アナログレコードの収集 温泉三昧 ガンダム・・・何となくその人が見えてきますよね。

例えば「草野球」の後に(40年)と書くあたり、「昨日今日始めたんじゃないぞ、筋金入りだぞ!」という強い意思を感じます。 
「生物と一緒にいること」と書いた社長さん、犬や猫だけでなく動物と接することが根っから好きな方なんでしょう。 
「福助人形の収集」も「どんな思い入れがあるのだろう?」と想像を膨らませることができます。

で、私ですが、仕事以外に好きなことや興味を持っていることはいくつかあるものの、ご覧のように一番時間やエネルギーを使っているのは模型です。 でも誰かに「趣味は何ですか?」と聞かれて模型です」と答えることに抵抗があるんです。

それはなぜか・・。

まず模型と言っても様々なジャンルがあり、「模型」だけではその人を十分イメージできないと思うからです。 例えば「建築模型」と「プラモデル」では伝わるイメージは相当違うでしょう。

では「趣味はプラモデル」と書けば良いのか・・。 いえいえ、同じ「プラモデル」であっても「カーモデル」と「AFV」ではやはり世界が違います。両方やっている人もいますし、一般の人にはどっちもプラモには変わりないものなんでしょうが、私には「カーモデルは作るけど、その他のジャンルは滅多にやらない」理由があります。

また、趣味にはどの程度熱中しているか・・というものさしもあります。

仕事などで知り合った人と雑談している中で趣味の話になり、私が
「車の模型をやってます」
と言うと、先方は例えばこんなことを言ってきます。
「私も子供の頃は作ってましたよ。色なんか塗ったりするんですか?」 
そこで私が、
「小学生の時からほとんど途切れずやってきましたねぇ。
ラジコンで全日本に出ていた頃は独身だったこともあって年60万円くらい使っていたかな・・。
今はプラモ専門ですが、毎年春に静岡で大きな展示会があって、新作を数台出品展示してます。
7年ほど前からホームページも開いてます。
そうそう、自宅には専用の工作室があります。その家を建てて一ヵ月後に車が突っ込んだんですが、その時ちょうどラジコン大会で静岡に行っていて、そちらを優先して家には戻りませんでした。
なお死に方ですが、ある日家族が工作室を覗いたら模型を作りながら突っ伏してこときれているのを発見した・・・なんてなれば最高です。」 
なんて言うと、流石にびっくりされますね。

でもそこまで言うのもめんどくさいなと思う時は、 
「年に数台くらい作ってますよ。もちろん色も塗ります。」 
と答えます。すると、
「それは本格的ですね。」
 なんて言われたりするんで、内心色々思うことがあるものの、話題をそこで切り上げたりもします。

「趣味は模型工作」という一言で熱中度は説明できないですねえ。

果たして自分にとって模型工作は「趣味」なんだろうか・・・・と思い続けていたら、こんな文章を見つけました。

以下は幻冬舎の雑誌、『GOETHE(ゲーテ) 』の2006年 04月特大創刊号に村上龍さんが「無趣味のすすめ」という刺激的なタイトルで書かれたエッセイです。 皆さんにもぜひ読んでいただきたい内容なので、抜粋引用してお伝えします。

 まわりを見ると、趣味が花盛りだ。
 手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。 
 趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。 

 わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートホテルのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。

 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。 だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。

 真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。 

 つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

 

私はここまでストイックではないにしても、言わんとすることはわかるつもりです。 

普通、「趣味」と言えば「息抜き」なんです。それが一般的な認識です。 
でも私の場合、模型は「息抜き」ではありません。
展示会に出品したり、HPで写真を公開するのは批判も覚悟の上でやってます。
コンテストやレース、展示会などを通して「心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望・歓喜・興奮」を何度も味わいました。
模型でプロを目指してはいないし、仕事ではないけれど、模型は好きで好きでたまらない。

まあ、そういう人がいたっていいじゃないですか。

私にとって模型は何だろう。「趣味」ではないとしたら、何て呼べば良いのだろう。「道楽?」「ライフワーク?」「生きがい?」・・・・いやいやどれもしっくり来ません。困ったな。

 

25.「組立参考時間、1時間」・・04/12/04先日、親父からこんな箱を渡されました。「途中まで作ったが、うまく行かないのでやってくれ。」と言うのです。

 

私の親父についてはここでも書いていますが、戦争中は職業軍人。予科練に入隊して飛行機乗りを目指して訓練をしていました。親父が入隊した頃は戦争も終盤で、実際に戦闘機に乗って戦う所までは行きませんでした(親父より一期前の予科練生たちは、空中戦や特攻でたくさん亡くなっていますが・・・)。

その親父が訓練で乗っていたのが、有名な九三式中間練習機(略称赤とんぼ)です。

どれどれと箱を開けてみると、あ、これはプラモではなく新聞の広告などで見かける、ダイキャスト製塗装済み半完成キットです。「組立参考時間、1時間」だそうで、ドライバーと瞬間接着剤、ニッパーがあれば、誰でも簡単に完成できそうです。

なぜ親父は挫折したのだろうか。

親父と言えば私にプラモを覚えさせた張本人ですし、色んな工具も持っています。実家には工作室もあるんです。絵に関しても玄人はだしで、手先の器用さにかけては私に比べで「優るとも劣らない」はずなのですが・・。ふふっ、親父も老いたか。

家に持って帰って調べた結果、結論が出ました。

 

結論 このキットは「普通の年寄りには完成困難」

 

まず最初の問題点です。翼間支柱、胴体支柱は翼に2ミリほど埋め込んで接着するのですが、焼付け塗装がされているものですから、きつくて入らないのです。

また、着陸張線、飛行張線は寸法がやや長く、そのままでは突っ張ってたわんでしまいます。(箱絵の張線がたわんでいるのがわかります)。

さらには、水平尾翼の支柱も長すぎ、修正が必要でした。

そういうところを手直ししながら完成に持っていきましたが、工作にはニッパーや針やすり、彫刻刀などを必要としました。ついでに、回りにくかったプロペラも手直ししました。

さて、この商品を買うのは一体どんな人たちか・・。おそらく親父と同じように、九三中練に思い入れのある世代、すなわち大正から昭和初期に生まれた人が中心と思われます。であるなら、もっと楽に組み立てられるように商品を設計するか、完成キットとして売ってもいいのではないかと思うのですね。1万円近くする商品なんだからぁ。

 

 

 

 

 

24.「日本で一年で売れるプラモの数は?」・・・04/05/29プラモデルっていったい一年にどのくらい売れているんでしょう・・。

日刊工業新聞で「バンダイの研究」という記事が連載されていて、興味深く読んでおりました。
その中から数字に関する部分を抜きとってみました。それによってプラモ市場の全体が見えてくるかもしれないので。

●バンダイキャラクタ−関連製品の売上(04年3月期)は、
 ・ガンダム 320億円
 ・戦隊シリーズ 130億円
 ・仮面ライダー 120億円
(注:「関連製品」だから、プラモだけではない数字です。)

●ガンダム関連の売上高 542億円
(注:これもプラモだけではない。ゲームや携帯電話コンテンツ、ソフト使用量なども含むので、金額は増えてます)。

●ガンプラ累計販売台数3億6千万個
(お、この数字はキープ)

●バンダイ静岡工場でのプラモデル生産は、月産1200〜1300万個。このうち、80〜85%がガンプラ。ガンプラは国内プラモデル市場のおよそ半分を占める。
(おお、おいしいデータです!)

つまり、月産1200〜1300万個の80〜85%(約1000万個)を二倍すれば、2000万個。これがプラモの月間販売個数ってことに・・・・なる・・・。

ん?ちょっと待てよ・・。

日本の総人口は1億2762万人(2003年10月1日)。女性や赤ちゃん、じいさんを除いた8歳〜40歳までの男子人口はせいぜい3000万人だから、月に2000万個ってことになれば、ガンダムを作りそうな世代の3人に二人は、毎月一個のプラモを買っていることになる・・・そんなわけない。

「バンダイ静岡工場でのプラモデル月産、1200〜1300万個」・・・この数字はいったい何なのか・・・輸出? いやー、それにしたってねー。

 

で、さらに調べてみました。バンダイは1980年7月よりガンプラを販売していますが、ガンプラの累計生産個数を時々発表しているので、ここから生産個数を探ってみます。その結果は・・・、

1992年10月 2億5000万個
2002年3月末 3億2000万個
2002年8月末 3億3000万個
2004年3月末 3億6000万個

うーむ、最近は半年で1000万個ペースってとこでしょうかねー。
ただし輸出もあるから、国内出荷を一年に1500万個として、シェア50%で割れば・・・・。

日本で売れるプラモの数は、一年で3000万個。

あたりで、大きくは外れていないように思われます。

 

さらに調べていくと、

●2001年度、日本のプラモデル市場の規模は約400億円
●兵器のプラモデルは全体の20%程度
●田宮模型の市場占有率は14%
●青島文化教材社は、売上高の半分以上が完成品
●プラモの金型作成コストは売値のざっと15,000倍が目安、2000円のプラモなら3000万円
●青島文化教材社の年間売上高220百万円
(←これはどうも間違いと思われます。従業員60〜70名のアオシマでは、給料も出ません。)
●ミニ四駆全盛時のタミヤの年間売上高400億円
(←最近は、100〜150億円くらいかな?)

などとヒントが色々集まりましたので、自分なりに推定したプラモ販売割合がこのグラフです。

 

それにしてもガンダムのシェア50%っていったい・・。それだけ魅力的な展開をしているからこその数字なでしょうが、ちょっとバランスが悪いって言ってもいい?

 

追記:

「売価2000円のプラモなら3000万円程度の金型費がかかる」って話は、私もメーカーで働いている身ですから納得できる数字です。

以前「ネットランナー」「中華キャノン」のプラモ(製作したのはアオシマ)が付録についていたことがありましたが、この時の発行部数が確か18万(あるいは20万)だったはず。

この数はプラモの世界では、ガンダムを例外とすれば「非常に多い」と考えられます。何しろ私だって2個買ったくらいですから。

つまり、普通のプラモは一種類ではそれほどは売れていない。仮に3万個売れて、その金型費が3000万円とすれば、一個あたり1000円となる。

完全新金型のプラモがなかなか出ない理由。それが何となくわかるでしょう?

ちなみにプラモを作るには、ごく簡単に言えば「企画」→「製品設計」→「金型設計」→「金型材料調達」→「金型切削」→「射出成形」→「梱包」という手順を踏むことになります。
この中で「金型設計」、「金型切削」あたりのコストが圧倒的に安いのが人件費の安い中国。
金型材料費は大きく変わらないとしても、トータルで考えれば大きく響いてきます。

さて、どうする、日本のプラモ業界。

 

23.自衛隊機の愛称を一般公募した時代がありました・・・04/01/26私の子供時代の話です。

当時読んでいたマンガ雑誌に、あるグラビアが載っていました。その絵柄は今でも良く覚えています。航空自衛隊の戦闘機や練習機などが飛んでいる様子を描いた見開きイラストでした。
一つ一つの飛行機には一般公募で決まった愛称が添えられていました。

F-86F セイバー 「旭光」
F-86D セイバー 「月光」
ロッキード F-104J スターファイター 「栄光」
T-6G テキサン  「はつかぜ」
等々。

愛称が決まったのは昭和39年の1月ですから、私が小学校4年の時。すると「少年」か「少年ブック」か「ぼくら」か「冒険王」に掲載されていた可能性が高い。
(ちなみに上の四つは月刊誌です。近所の仲間で分担を決めて購読していました。私の担当は「ぼくら」、本当は「少年」が良かったのだが・・・。付録が良かったし。
一方週刊誌の「少年サンデー」や「少年マガジン」はとても買えませんでした。一冊40円だったけど毎週ですからね。)

「自衛隊の航空機に一般公募で愛称が付けられる・・・。そしてその結果が少年マンガ雑誌に掲載される・・・。」 今そんなことを世論が許すでしょうか。

私の同年代の人たちは、子供時代に戦争マンガや戦争ドラマのシャワーを浴びています。中国戦線で闘う兵隊さんを描いた国産テレビドラマもありました。
だから当時の子供達の間に広まり始めた「新しい遊び」であるプラモデル、特に国産プラモの売れ筋はその多くが実在の兵器でした。プラモデルの人気は今の比ではありませんから、クラスのほとんどの男の子が戦車・戦闘機・軍艦のプラモを作り、知識も豊富だったわけです。

もし今そのような現象が起きたら問題になるのではないでしょうか。今も兵器模型を作る子供はいますけど、数が少ないから社会問題にならないのでは?

男の子はスポーツ含め「闘いごっこ」で遊ぶことが好きです。プラモに限らずおもちゃの「変身ベルト」だって戦いごっこに使うものです。だからおもちゃやプラモのテーマから「闘いごっこ」がなくなることはないでしょう。

では昔と今ではどこが違うのか。

それは今は「架空世界の戦いをテーマにしたプラモ・おもちゃ」が主で、「現実世界の戦いテーマにしたプラモ・おもちゃ」が従であることだけです。

理由は明白。今の子供達の回りに、「現実世界の戦い」の情報提供がないからです。

もちろん「戦いはいけないこと」と教えるのは至極まっとうなことですが、そのためには「実際の戦い」がどのようなものだったかを知らせなければ伝わりません。
アニメや架空戦記など「架空世界の戦いのお話し」をどんどんリアルっぽく、悲惨さを強調しても別物です。

 

何でこんなことを書いたか。

今、陸上自衛隊(先遣隊)がイラクに持っていっている軽装甲機動車、このプラモをメーカーは開発できないだろうな・・と思ったのがきっかけでした。

 

20.足下を見る 手元を見る・・・03/03/01●足下を見る
目に付きにくいところや弱点を見て、全体のレベルを推し量ることを「足下を見る」と言います。
ホテルや旅館などでは、お客の靴を見てその人のレベルを判断する・・この話、ご存じの方も多いでしょう。
いくら服にお金をかけても靴までは手入れが行き届かないことが多く、本当の紳士かどうか、ひいては上客として扱うべき人なのかが見えてくるわけです。

「足下を見る」・・・元来の意味は、昔の籠かき(駕籠屋)がお客の足下を見て、くたびれた草鞋を履いてるならば、「きっと長く歩いて疲れているはずだから、駄賃を多めにふっかけても乗ってくれるだろう」・・と判断したことによるそうです。

●手元を見る
お亡くなりになってからもう2年以上経ちますが、「美●の女王」で有名だったあの方を覚えていらっしゃると思います。
本来のお仕事は料理研究家ですから、テレビでもエプロン姿で包丁さばきなどを披露することもありました。元もと非常にお美しい方で、しかも「美白の●王」ですからお顔の方は年齢を感じさせませんが(※)、ブラウン管に写された手元はやはり「お年なり」でして、そのギャップに驚いたものです。

大河ドラマなどでは回を重ねる毎に主人公がだんだん老けていきますね。顔はメーキャップなどでそれなりに手を加えるとしても、手元はなかなかいじれないので違和感を感じるときがありますな。

●手のバリを見る
さて、電動士家では次男が4月から一年生。先日大手の家具屋さんに学習机を選びに行きました。
時期が時期ですから、雛人形などもたくさん飾られていました。
私などはどうしても雛人形を「フィギュア」として見てしまう癖があっていかんのですが、顔は「ポイント」ですから、どれもまあそれなりに仕上がってはいるものの、手元が気になるんだよねー・・。

中の上クラスでも、手はプラスチックの成型そのままなんです。
「パーティングラインくらい消せよ、こら! ・・・ったく、こっちはバリ出てるじゃないか!! 」
と心で叫んでしまいます。しかもこのクラスは、ぼんぼりなど小物の出来も気になります。あからさまにプラスチッキーで・・・。

「上」クラスになりますと、流石にパーティングラインは処理されて、塗装が施されています。だが、その塗りがどうも気になる。
「エッジのところが透けていて下のプラスチックがわかるじゃないか。サフ吹けよこら!!」
と心で叫んでしまいます。

さらに進んで最上級クラスに行きますと、一応満足できるレベルになります。伝統的な技法で作られているのかもしれません。
でもその金額はとんでもないレベル。
「たかが人形にここまで金出す奴がいるのかい!! 金持ちはいいよなー。」
と心で叫んでしまいます。

結局何を見ても腹が立つという・・。

え? 「あんたなら、”そこそこ”のを買って、手や小物を再塗装したらいいじゃないか。」 だって?
残念だったね。私には女の子はいないんでね。

え? 「じゃあもし女の子がいて、雛人形買ったらやるのか?」 だって?

やるかもしれないね。・・・・そして作業中、奥さんにグーで殴られるだろう・・。

※専属の照明係がいたそうですけど。

 

19.あけましておめでとうございます・・・03/01/11仕事や学校も始まり、とうに皆さんもお正月気分は抜けているでしょうが、今年初めてのこだわり道場でございます。

このサイトも3年目に入りましたが、だんだんと自分の役割も見えてきたような気がします。模型を楽しむ人を一人でも増やしたい・・、願いはそれだけでございます。そのために私でできることなら、大抵のことはやる覚悟でございます。

私が子供の頃は、みんなが当たり前のようにプラモを作っていました。今の小学生〜高校生でプラモ(特にスケールモデル)を趣味にする人は、そう多くないようです。

一方、30代〜40代くらいの方で、最近模型製作に復帰する方も増えているようですが、久々にネットを覗いてみたら、あるいは模型雑誌を買ってみたら、その作品のレベルの高さにびびってしまい、復帰の意欲をそがれる方もいらっしゃるかもしれない。

プラモの楽しみ方は人それぞれです。上を見たらキリがありません。初心者は初心者なりに、ベテランはベテランなりに自由に楽しみましょう。

私などは、それほど他人様に言えるほどのテクニックはありませんけど、今年は初心者の方、出戻りの方、女性の方などをいつも思いながら、このサイトを運営し、模型を作っていこうと思っています。

本年もよろしくお願いいたします。

 

18.模型って芸術?・・・02/09/28いつも思ってるんですよね。「完成プラモって美術品として認められないんだろうか。」とか「プラモの箱絵の原画は芸術作品なんだろうか」と・・。
なぜかと言いますと、ほら、その辺の美術館によくあるじゃないですか。「早春」とか「萌え」とか「裸婦」とか名前のついた等身大のすっぽんぽんのブロンズ像。私にはあれのどこがいいか、全然わからないんですよ(鑑賞力がないってことか)。
私などは、完成したプラモやプラモの箱絵を見ている方が幸せですし、よほど感動します。 

一方、絵画と言うかアートの方面でも・・。
例えば裸の女の子の体全体に絵の具を塗って大きな紙の上を転がし、魚拓みたいなのを作って「作品」なんてやっている場合はどうか。
その人は本気なのでしょうが、私はそのあと、モデルの「おねえさん」がシャワーで絵の具を落としている様子の方がよっぽど美しいと思います。
少なくとも魚拓みたいな作品より、プラモの箱絵の方がよほど「上手」ですよね。

芸術とは人間が何かしらの手法を用いて作り出したものですが、その定義となると非常に難しく、解釈も様々です。ギリシャ・ローマ時代には少なくとも「美しいもの」でないと芸術とは認められなかったはずですが、今は決してそのようなことはない。
宗教の「たが」が緩んでしまった現代では、「善」や「美」はうるさく言われず、芸術の間口はずいぶん広くなりました。

じゃあ「芸術」って何なのか・・・、これはとっても難しく、ここで簡単に結論を出せたならほとんどの評論家は失業してしまうかもしれませんが、手短に持論を述べたいと思います。

○そもそも「動機」「表現意欲」が大事?
「この俺の想いを作品にぶちまけてやる〜!」「どうしようもない悲しさが一つの詞として結実した。」
・・・と、その作品に込められたものが受け手に感動を与えるのが芸術・・。これはわかりやすい解釈でしょう。
ただ、送り手が伝えたいものを、受け手はどこまで理解しているか・・。
作者が込めた想いを鑑賞者が全て汲み取るとは限らない。悲しさを表現したかった絵を見て、楽しい絵だと感じるのは見る人の勝手です。
両者がなるべく歩み寄るには、見る人にもそれなりの経験や修行が必要かもしれません。あまりにも理解しやすいとかえって芸術になりにくいのかも。
模型の箱絵は技量的にはすばらしいものがありますが、戦車や飛行機など対象となるものを正確に書くことが主な目的ですから、芸術とは認められないと考えるのは自然です。

○最初からお金儲け、仕事として作り出したものは芸術ではない?
上にも絡みますが、「仕事」の流れの中で作り出したものは不利です。箱絵の原画はパッケージの印刷を目的に作られたものですし、作家が自発的に描いたものではないので、成り立ちから言って芸術にはなりにくい。
まあ、そんなこと言っても今の「芸術家」たちが特別な動機に駆られたときだけ創作活動をしているとは思いにくいし、「これはいくらで売れるかな。」と意識せずに作っている人は希でしょう。

○歴史の淘汰をくぐり抜けてきたものが芸術?
現在、立派な「芸術」と認められているものでも、その成り立ち時点の動機が「金儲け、仕事」であるものはいくらでもある・・。いやほとんどがそうであると言った方がいいでしょう。
時には貴族の宴のBGMに量産された曲もあります。それらのほとんどは忘れ去られ、最後に淘汰されたものが「クラシック音楽」として認められているのではないかと思います。ヨハン・シュトラウスのワルツ、モーツァルトのディベルティメントなども量産品の部類だったけど、作品がいいから残ったのではないか。
版画の浮世絵なども、当時の認識では「週刊誌のグラビア」「エロ写真」と言ったら失礼でしょうか。

○作家の人生が「いわく付き」でなければならない?
作品そのものはともかく、作者の人生・感性・人格が「とんでもないものだったからこそ、希有な作品を残せたんだ、と言う考えもあります。
幼少時代は天才と騒がれ、だが家族の愛は薄く、幾多の女性と浮き名を流し、各地を放浪しながらすばらしい作品を残したが、病に倒れ、どこで野たれ死んだか不明、であれば最高です。

以上考えてみると、模型はどんなにすばらしく作られていても、芸術と言うには無理がある。そもそも模型は「かたちを模す」ものですから、ほぼ例外なくそれのもとになった「モデル」があるわけで、全く自由な創作活動とは言えないかもしれない。

長々と書いてしまいましたが、だからといって模型を作り、集めることはすばらしいことです。まだ歴史が浅いこともありますが、将来は芸術とは全く別の観点から、その価値に思わぬスポットライトが当たるかもしれません。