書類審査は無事通過し、二次審査の案内が送られてきました(後ほど聴いた話では、全国から350点以上の応募があり、書類選考で80点に絞られたそうです)。
キットは郵送しようかとも思いましたが、自分で持ちこむことにしました。新潟から電車に乗って高田馬場にある三栄書房(モーターファン、オートスポーツ発行元)を訪ねました。遠方からやってきた高校生を編集部の方は暖かく歓迎してくれました。すでに多くのキットが持ちこまれており、脇のテーブルに並べられていましたが一部は破損しており、直接持ちこみは正解だったと思いました。
高校2年の冬といえば受験まで一年という大事な時期、今考えれば良く親は黙って見ていたな、交通費も良く出してくれたなと感謝します。
昭和46年3月29日、送られてきていたレーシングカーショウの入場招待券を持って再度東京へ出発です。
会場は晴海国際貿易センター。この時点では自分が入選したのか落ちたのかなどは判りません。会場につき、多くの人の波を抜けてまっしぐらにカスタムカーコンテストのブースに直行、作品を探しました。
何と入選しているではありませんか・・。
あのときの気持ちはなかなか言葉では言い表せません。体全体が熱くなるのを感じ、しばらく自分の作品の前に佇んであふれる嬉しさに浸っていました。
※右の記事は、三栄書房
AUTO SPORT YOUNG
1971AUTUMN号より