みごと走ったHONDA F−1
町中を探したHONDA F−1(一台目)
1/25パンサーと並んで、1/12のビッグスケールで発売されたHONDA F−1は、田宮の発展期の特に重要なプラモです。それまでの常識を遙かに越えた精密さ、トレッドパターンを忠実に再現したタイヤなどは、圧巻でした。 

このモデルを買った、あの日の夕方のことはよく覚えています。 

おそらく発売日、その情報を手にしていた私はクラブ活動を終えるとまっすぐに模型店に走りました。だがそこではすでに売り切れ。急いでもう一つの模型店に走ります。しかし、そこでも初回入荷分は全て売れていました。

普通なら次の機会を待つのでしょう。でも私はその日、どうしてもあきらめられなかったのです。

撮影記録には「68年3月」と入っています。

このページは当時プラモ仲間だったK君(前出)にも電話をし、二人の古い記憶を頼りに書いています。もしかしたら記憶が間違っているのかもしれないのですが、おそらく私はどうしても「ユニバーサルジョイント」が見たかったのです。

ミッションの動力をタイヤをつなぐ「ユニバーサルジョイント」については、すでに予告や記事などで話題になっていたと思います。当時のフォーミュラーカー、1/16程度のものはありましたが、これはシャフトのつなぎがゴムチューブ。見た目が情けないのはもちろん、ゴムですから時間がたてば切れてしまうでしょう。

しかしTAMIYAは違うらしい。それは何なのだ? プラモを発売日に買うなどということはこれまで考えたことはありませんでしたが、HONDA F−1に関しては一刻も早く手にしたかった、いや見たかったのです。

 

「お約束」のアングル

そこで町中の「おもちゃ屋」を探索することにしました。「おもちゃ屋」などはあまり用事はありませんから、全ては頭に入っていません。いったん家に帰り、電話帳などでリストアップ。自転車で一軒一軒回りました。

今だったら、「予約をする。」「電話をかけて在庫を確かめる。」などの知恵が働くのでしょうが、当時、模型を買うために電話を使うなどの感覚はなかったですね・・。

確か4軒目にそれはありました。箱は縦に置かれており、すぐ目に入りました。店内が急に明るくなったような気がしたのを覚えています。すでに夜になっていましたが、K君をすぐ家に呼び、二人でパーツをしげしげと眺めました。

動かなかった一台目

ウオームギヤで減速するHONDA F−1は、動きませんでした。ボディーを持ち上げればタイヤは回り、その状態でサスペンションを上下させると、ユニバーサルが動力を見事にタイヤに伝えます。これはこれで良かったのですが、地面に置いてみると、50cmほどしか走りませんでした。非常にがっかりしました。

また排気管の組み立てがなかなか難しく、やっとのことで接着してはみたものの不満が残る仕上がりでした。

見事走ったHONDA F−1(二台目)
半年後二台目を買いました。下の写真には68年10月撮影の記録があります。この年のモデルを再現しようと、スライドマークを上に貼ったり、サスペンションアームを黒く塗ったりしていますね。 あ、ドライバーは自作です。
この車、なんとギヤBOXを自作しました。クラウンギヤや、細かいギヤをジャンク箱から探し出し、下敷きでギヤBOXを作って組み込みます。現物合わせですからバックラッシュなどの調整は何度もやり直し、スケール感を損なうことなく組み込むことができました。

この車は見事に走りました(ウソだと思ったらK君に聞いてください)歩きながら十分追いつけるスピードでしたが、コクピットに指を入れてステアリングを動かすと、HONDA F−1は右に、左にと操縦できます!

二台目。スライドマークのつなぎ目が情けない・・

そうか・・、私のラジコン人生は実はここから始まっていたのですね。今気づいた。

その後ロータス49Bなども買いましたが、ギヤBOXは私が作ったものと酷似していました。あの狭いミッションスペースに組み込むのですから、自ずと構造は決まってしまいますね。

実は、HONDA F−1で話題になった超精密タイヤ、実は私はロータスまでは今ひとつ好きではなかったんです。真ん中の合わせ目が妙に目立っていましたから・・。あれはマトラになってから急に良くなりましたよね。