プラモを教えてくれたのは父親だったのに、私がプラモに夢中になると、父はどちらかと言えば「あまりはまるな。」の立場に変わりました。当たり前と言えます。
私も今は父親ですから、子供にはテレビゲームなどではなく、外で野球やサッカーをやって欲しいし、友達と遊ぶときも、銀玉鉄砲で撃ち合ってほしいと思います。
母親も同様で、一回何かのはずみで私の作った紫電改(田宮1/50日本傑作航空機シリーズ)を裁縫用の長い物差しで唐竹割りにされたことがあります。怒りを買った原因は”やることをやらなかった”など私の方にあったのでしょうが、ちょっと長めの増槽が「ピーン」と音をたてながら窓の外に飛んでいったシーンを覚えています。
大人にとってプラモはあまり好ましくない遊びに見えたのかも・・・。一回高校生くらいの時「ギターを買ってやるぞ。」などと誘惑されました(普通は「ギターなんかやってると不良になるぞ。」ですけどね)。それになびく私ではありませんでしたが。
さて、やや時間を戻しますが、ここでご紹介する2つの作品は、私が小学校高学年の時と中学3年くらいの時に作ったバルサカーです。全てオリジナルの模型を作ってみたくなった理由はよくわかりません。もしかしたら「プラモはただ接着剤で作るだけで、何のオリジナリティーもない。」などと親に言われたからかも?