フルスクラッチ タイレル

タミヤより早い自作タイレル

タミヤは1/12及び1/20のタイレルP34キットを出しています。どちらも傑作と言っていいでしょう。だがこれはキットより半年早いフルスクラッチ(1976年製作)であることがポイントです。

P34を選んだのは、実車がセンセーショナルにデビューし、1976年には大活躍(優勝は一回だけだが、2位4回、3位2回など入賞数は多い)、またその形が非常に特徴的だったからです。なぜ前輪に小型のタイヤを4つ付けたか? ご存知の方も多いとは思いますが、その理由は空気抵抗とアンダーステアの解消にあったとされています。

F−1の空気抵抗の50%程度がタイヤによるものだとされています。この車は前輪を小さくし、またトレッドを非常に狭くしていますが、当然起こってくるアンダーステアを解消するためにタイヤを4つにしたわけです。大きな後輪には手をつけていません(笑)。

P34は衝撃的(笑劇的?)にデビューしましたが実績も上げ、その理論は必ずしも間違っていないことを証明しました。1976年のオフシーズンには他のチームも色々と似たような実験車をテストしましたが、右はマーチのもの。空気抵抗は後輪の方が大なので、後ろを4輪にしましたというふれこみですが、実戦には参加しませんでした(これがレースに出たら怖い。勝ったらなお怖い)。またあのフェラーリも後ろに前輪を左右二ヶずつつないで作るという、トラックまがいの試みもやっています。いかにタイレルの影響が大きかったかが判りますね。

ただし、翌年(タミヤの1/10ラジコンの形)になると成績は急に落ち込みます。フロントトレッドをワイドにしたり(おいおい空気抵抗はどうした)と苦心をしましたが、結局鳴かず飛ばずに終わりましたね。

このような実車でしたから、ぜひとも模型として自分のものにしたかったのです。そこで無謀にもフルスクラッチすることにしました。と言ってもエンジン回りや後輪はブラバムを流用していますけど。

製作上の苦労
フルスクラッチは初めてですが、P34は比較的直線で構成されているため、プラバンとパテで何とかなりそうでした。4輪がステアする機構も、オートスポーツその他の写真や図解により図面に起こすことができました。

問題はタイヤです。どのプラモデルのタイヤもぴったりしたものは見つからず、またホイルも特殊な形状をしており、流用することは難しそうでした。

そこで出した結論は、ムクのプラスチックの塊からの削り出しでした。工学部の研究室には大型の旋盤など工作機械がありましたので、これを利用します。タイヤの側面は難しいので、最初からバイトを側面形状に合わせて準備加工しました。またホイールもタイヤと一体で削り出し、塗装により「らしさ」を出すことにしました。

約二ヶ月かけて作ったのがこの作品です。細かいところはご愛嬌ですが、一応タイレルらしさは出ているでしょう?

作品は行き付けの模型屋さん(その翌年ラジコンを勧められることになる)に持っていったところ、ウインドウに飾ることになりました。出入りのお客さんの中には言い値で購入したいと申し出る人もあったとか・・。

しかしその半年後(77年)にタミヤからキットが発売され、この作品は「ただのお笑い」になってしまいました。再販したキットを持ってはいますが、フィルムでパックされていますので、買ってそのままどこかにしまい込み、箱を開けたこともありません(本当)。

同じようなことは何度もやっています。ロータス78の設計を始めてからキットが出ることを知って断念したり、ポルシェ934を935前期型に改造して完成したらキットが出たり(後述)・・。考えてみれば自分が作りたいと食指が動く実車は、模型会社が放っておくわけがありません。マニアはジネッタのようなマイナーを狙うしかない。だがそれはほとんど誰も知らないというジレンマ・・。