兄がホームページを作っている! の巻

 
2000.8,中旬から下旬

いつものように、兄が家族を連れ、わが家(住人は、父、母、妹 である私)に遊ぴにやって来た、ある夏の休日。
「ボーナスでパソコンを買った。インターネットでホームページを開こうと思っている」
 
さりげなく言った兄の話を、『寝耳に水』状態で聞く。 

が、ホームページの中身を聞くと、「(趣味の)模型に関すること」 どっひゃ〜ん!もう、そこまで考えておりますか。と、思ったが、同時に 『うん、兄ならやりかねん……』 妙に納得しでしまう。 

2000.10.01 

運動会日和の天気の中、父と共に保育園に通う甥っ子2号の運動会の見学がてら、ホームページの試作品を見に、兄の家を訪問。午前中、父は甥の運動会の見学。私は運動会の見学もそこそこに、 2000年4月にリニューアルオープンしたという兄の町の図書館へレッツ・ゴー(だって見たかったんだもん)。 そして午後、二階応接間の座卓の上に鎮座ましますパソコン一座とご対面。制作途中の兄のホームページの見学となるが……。 

いや〜、びっくりした! こんなこと (写真や、カタログの文面や、甥っ子が描いた絵までもスキャナー経由でパソコンに取り込まれちゃう) あんなこと (ワープロやデータ集計は朝飯前。カラー編集はリッチなランチ。 ホームページはちょいと習えは家庭でできる、フランス料理のフルコースディナーと来たもんだ) が、10万もしないパソコンでできちゃうなんて……。 

思い起こせば10年前、兄のボーナスで買ってもらった20万のワープロを手に入れた時、 『うわ〜、すごい。なんか、世界が変わるなあ……』 と思ったものだが、今、目の前にあるパソコンの性能のレベルはそれ以上。白黒TVからカラーTV、カチャカチャチャンネルから ピコピコリモコンというぐらい、あっという間に進化しちゃった。

だからかな、兄のパソコン操作を見ても、今、どんな目的でマウス を動かしているのか、あたしゃ、全然わからない。が、それ以上に固まっていたのは父。
初めは
「ふーん……」  
とうなずきつつ、話を聞いていたけれど、後半は、 
「わからん!」
 
といいながら、兄のホームページ上の画面を、ただ眺めているだけだった。 とはいうものの、兄も本格的にパソコンを始めたばかりで、試行錯誤の日々。インターネットも自分のホームページが完成したら登録手続きするそうな。TVのニュースで見ていた世界が、こんな形で身近になってくるとは……。

2001.01.02

お正月と母の誕生祝いを兼ね、兄一家、21世紀初の来訪。 この時、ホームページのことを聞くと、 
「ああ、12月に開設した」
驚くべき返事が返ってくる。 そこで、 
「ホームページ、見にいってもいい?」 
と聞くと、  
「それなら4日はどうだ?」
 
と言われたので快諾。 

2001.01.04

兄の家へ、初のホームページ見学に行ってきた。

家に着いた後、パソコンー座がいる二階へ。兄のホームページを通じ、いろいろなことを知る。

しかし、兄、妹に説明する割合が多く、ホームページをじっくりと見せてくれない。見始めても、横からあーだこーだと話をし始め、それがなかなか止まらない。ま、その気持ち、わからないではないが、

頼む、じっくり見させてくれい!! 

なお、その間、お茶を運んできた義姉、私のマウス操作を見て、
「スムーズね」
という。一週間に一度とはいえ、仕事で使うので、なんとなく手つきが違うのかな? また、兄が席をはずした後、義姉としばし雑談。その際、兄のインターネット状況(夜、子供たちが寝静まった後、やっているらしい。よしよし)を聞く。 

兄が戻って来たので、私の企みがらみに伴う話。

「あのさ、妹なりに協力できるかどうかわからないけど、こんな感じの話はどうかなあ」
昨日から考えていた妹の企み(妹から見た兄の模型史)を話す。
「確かに、家族から見たら、
変人に見られる部分もあるな」
 
兄、まんざらでもない様子。

ただし、「おもしろいもの、書けよ」 「他人に読んでもらうんだから、自己満足じや、だめだ」 というアドバイスをもらう。

そうこうしているうちに帰る時間。家に帰った後も、しばらく興奮おさまらず疲れたけど、兄がホームページを作りたくなる訳が、ちょっぴりわかった1日だった。 

 

2001.02.04 

兄一家、来訪。この時、兄、ホームページ更新用の資料が欲しかったのか、 珍しく私の部屋(妹は勝手に『タコツボ部屋』と命名しております)に入ってきて、私の企みの進行状況を聞きながら本棚を眺めつつ、 「おー、お宝がいっぱいだ……。古本屋になんか売るなよ〜」とか、「横に模型の箱をいっぱい積んで、『第2の本棚』ということで、写真、撮ろうかなあ〜」 などという。
これこれ、ねつ造はイカン。まあ、自分で言うのもなんですが、とても女性のものとは思えないラインナップでございます。 

それから、
「確かここに置いたはず……」
 
といいつつ、2階にある謎の第2倉庫にこもり、捜し物。 しばらくたってから、見覚えのある模型(色を見て気がついた。 あれは確かサボテンに塗料の花を咲かせる原因を作った犯人だ!)が入った箱と、B5版の方眼紙に描かれた車の設計図の束を持ち、1階の居間に下りてくる。 

が、久しぶりの対面だったものだから、模型見学にしばし没頭。 その様子を不思議そうに見ていた小学生の甥っ子1号が手を出した途端、  
「さわるな!これはお父さんの宝物なんだから!!」
 
だだっ子のような怒りモードに激変。

たちまち回りから、
「そりや、触りたくなるさ」
「『さわるな!』って言われてもねえ……」
「お父さん、早くしまって!」  
甥っ子擁護と兄に対する批判が飛んだ。 

その後居間の一角にあるアルバムコーナから古いアルバムを数冊引っ張り出し、
「模型の写ったものはないかなあ……」 
といいながら探索開始。しばらくたってお目当てのものが見つかったらしく、
「よし、今度借りていこう」 満足そうな顔をしてアルバムを閉じた。 

2001.02.11 

兄の家に行き、改装したホームページの見学、並びに1ケ月間の流れを聞く。 

「あれ、この前、いつ来たっけ?」
「1月4日だよ」
「えっ、1か月近く来てなかったっけか。そうか……。 いや〜、あれからずいぶん変わりましてねえ〜」
と、にこやかな調子で話し始めたその内容は、妹の想像をはるかに越えるものだった。

なにせ、兄のホームページは模型の世界ではちょっと評判で、その世界では名を馳せている人からも驚きと賞賛のメールが送られてきたらしい。 しかも、だ。兄の模型に関するさまざまなエピソードはなかなか貴重なもので、模型の歴史を調べている人たちにとっては、ありがた〜い資料になるそうな。

兄、日く 
「おれぐらいの年代で模型、作ってた人はたくさんいるんだろうけど、この年でインターネットに触れたり、模型のホームページを作ろうとしている人はあまりいないらしいんだ。」
 
おまけに仕事がらみとはいえ、日本経済新聞にまで紹介記事が載ったとか(昔、地方紙で紹介されたのは覚えているが、まさか全国紙に截るとは。う〜、妹は予想もつかなかった)。 

義姉にお土産を渡し、パソコン一座が待つ2階ヘ。 まず、兄のホームページを見る前の準備段階として、兄のホームぺージとリンクしているという「田宮模型歴史研究室」さんの掲示板を初見学 (模型の歴史に関しては大御所とされるホームページ。ここでは兄のホームページもリンクされている。ここでリンクされるということは、大変名誉なことらしい。しかも、そこの掲示板に書き込む面々は、相当レベルの高い人たち。相撲で言えば、幕内三役といったところらしいのだが、兄、しっかり書き込んでいた。おいおい、いいのか、本当に)。

「ここ、読んでごらん」 
言われたまま画面を見ると、そこは兄のホームページをみた人々の感想がびっしり書いてある。 『さて、皆様の感想は……』 軽い気持ちで読み始めたのだが、いやはや、その反応が尋常じゃない。『面白かった』 『楽しめました』 と言う前に、
「ぬおおおおおおおおおおおお!!!!!」
と、叫んどる。
しかも、その叫びは次から次へと伝染し、バトンをつなぐリレー競技のよう。

『うわ〜、濃い!ここまでやるかあ〜』 試作品を初めて見たとき、模型に関しては門外漢の私もこんな風に思ったものだが、その予感、やっぱり正しかったのね。 それから日時の古い順にマウス片手に見学関始となるが、途中、 なぜか 「111111番目に訪問したのは誰か?」 という話題で盛り上がっている。

「これはいったい何?」 
意味が分からず兄に聞くと、 
「ああ、それは『キリ番を踏んだ』といって、めったにないことだから、みんな縁起を担ぐんだ」 
サラリと解説してくれる。
『ふーん、インターネットの世界でもキリ番を踏む、なんて、ジンクスもどきのことをやるのか』なんてことを思いつつ、掲示板を覗くかたわら、ホームページがきっかけで知り合いにになったメンバーの簡単なレクチャーを受ける(助手さんが、TVで時折見かけるあの方だったとは驚き。写真見た時『見覚えがあるな』と思ったんだ。 また、漢字が違う伝道師さんも、ある模型の分野では超有名人とか。そんな人と知り合いになっちやったのお〜!おそるべし、イ ンターネット)。 ※アーマーモデリング

次にリニューアルした兄のホームページを見学。画面が変わった途端、戦艦の模型を持ち、ほほえむ幼少の兄の写真を発見。大笑い。その後、変わったところを順次見学。

(中略)

見学が完了し、兄がパソコンのスイッチを切る間、一階の台所で義姉と共にコーヒーを飲みつつ、雑談。

その際、私が兄のホームペ ージがらみでお邪魔しても迷惑でないかたずねたところ、

  「私(義姉)はいろいろなこと(子育て。家のこと。仕事もしている)でホームページの方までかかわっていられないでしょ。だから妹さんが来てくれることで、話し相手ができていいみたいよ。迷惑じやないから、安心して」  

ありがたいお言葉をいただく。よし、また、母特製のぬか潰けを片手にお邪魔するか。 

2001.03.11

仕事を終え、職場近くの電話ボックスから家に電話を入れると、応対に出た父より、兄が甥っ子2号を連れてわが家に来ていることを告げられる。
買い物、雑用を終え、帰宅。荷物を持ったまま居間に行くと、兄、アルバムコーナーの前で写真を物色中。

すると何か思い出したのか、
「あ、そうそう、また、すごい人とメールやりとりしてましてねえ〜」
新たにメル友?となったメンバー2名を紹介するが、その人たちの本業を聞いた途端、妹、またまたどっひや〜ん!状態。

○まず、1人日はタックさん。

「タックさんって、どういう字を書くの?」
「アルファベットでTAC」
「もしかして、ウルトラシリーズの……」
そう、そのTAC(確か、『ウルトラマンA(工一ス)』に出てくる地球の防衛組織ですよね。)。
「『ウルトラマンネオス』って知ってるか?今、ビデオが順次発になっているんだけど、その人、そこの監督やっているらいんだ」

「ひえー!」

恥ずかしながら、妹の初恋のヒーローはウルトラ兄弟である。
今でもゾフィー、ウルトラマン、ウルトラセプン、ジャックこと帰ってきたウルトラマン、A(工ース)、クロウ、レオ、アストラ、実は見習い戦士だったというウルトラマン80(エィティ)、と、兄弟の名がそらで打てる。

しかし平成版は、グレート、バワード、ネオス、ウルトラセプン、21(ツ‐ワン)、ティガ、ダイナ、ガイア、アグル、コスモス。それからウルトラマンUSAのスコット、チャック、女戦士のペス。ガソリンスタンドCMのゼアスに、ティガの再放送のCM中に登場したナイス。と、かろうじて名前は打てるものの、顔の方は区別できなほどモウロクしております。

(「プラモデルの王国」で知り合いになった「TAC」さんこと宮本拓さんはウルトラマンネオスの第10話を担当。ネオスシリーズは何人かの監督が分担して撮っておりますが、正直第10話は別格の出来だと思っております。by兄)

○そして2人目は、模型原型師という肩書きのATさん。

「今、チョコエッグとかいう、チョコの中にフィギュアが入っているお菓子がはやっているだろ?その人、ちょうど今、模型の戦車を入れるお菓子というのに関わっていてさ、このお菓子に入れる戦車の模型の原形を作っているらしいんだ」

「…………(絶句)」

そう言えば、以前、兄の家にホームページ見学に行ったとき
「そうそう、今度、チョコエッグとは別に、戦車の模型を入れたお菓子が出るらしいぞ」
という話を兄から聞いた。

その時は、
『うわ〜、今度は戦車か。妹に話すぐらいだから、お兄ちやん、出たら買うつもりだな』
軽い気持ちで聞き流していたのだが、まさか、製作に関わる人とお知り合いになるとは……。
いや〜烏肌が立ってきた。これからまた、どんな人とお知り合いになるなるのだ?兄上。

(「原型師AT」さんとは「田宮模型歴史研究室」でお知り合いになりました。同じ新潟在住です。ファイブスター物語の谷明さんと言えば、ガレージキットを少しでも知っている人にとっては神様のような存在ですが、このとき妹にはまだそこまで話しておりませんでした。

なお、宮本拓様、谷明様に関する記述に関しては、ご本人の確認・了承をいただいております。by兄)