2回目の全日本出場は1986年(昭和61年)のことです。2年間のブランクがありますが、行かなかったのか、行けなかったのか良く覚えていません。確か一度は開催地が関西だったので敬遠したと思います。
このときもファントムを持っていきました。この頃には3Pサスカーも更に進化し、ファントムはやや時代遅れの感がありましたが、私はこの車が大好きだったのです(今でも膨大なパーツ、手をつけていないキットなどがあり、なかなか捨てられません)。
会場の駒沢公園は最初かなりスリッピー、2WD勢はつらそうです。「ファントムを持ってきて正解!」と喜んだのですが、ワークスさんたちは臨機応変に4WDと2WDを切り替えています。
また、メンバーが互いにセッティングを変えて走行し、うまく行ったデータをチームメンバーに伝達して行くので、
どんどんと煮詰まって行くのです。予選が進み、路面のホコリがクリアになって行くと、明らかに2WDが有利になりました。
我々新潟県勢5人の中で3名(弓納持、伊藤忍君)はファントムを選択していました。ワークスと同じようにセッティングデータを交換してチームで順位アップを狙いますが、なにぶん一つ一つの車に「工夫」があるものですから、同じデータがそのまま通用するとは限らず、苦戦します。