さて、全日本の本選は8月の末に行われました。持ちこんだ車は京商のファントムEP−4WDです、シャーシはほぼ標準ですが、サーボはサーボセイバーホーンでダイレクトにつなぐよう、改変しています。
●持ってきたモーター、予選前に二つとも壊した。
夜中に出発して朝早く会場に着いたのですが、仮眠するには気持ちが高ぶり、また何となく暇なので、まだコースができていない会場で試験走行。ところが路面には細かい石や砂が乗っており、気がついたときには虎の子の本番用モーター(ルマン480S)二つはコミュテーターがぼろぼろになり、使い物にならない状態になっていました(ただのバカ)。
困って京商のピットに泣きついたところ、親切にもルマン480T(Sよりやや電池が持つトルク型のタイプ)を分けれくれました。結局このモーターを使って準決勝まで5回走るわけですが、軽量に仕上げている私の車はルマン480Sでも十分電池は持つので、480Tならなおさら余裕です。
●予選の最初はぼろぼろ。
予選が始まりました。正直言って周りにはまったくついていけません。回りでは早くも31周が出た、32周も出たなどと言っているのにこちらは28周あたりでうろうろしています。「やっぱりレベルが違う」とも思いましたが、車自体は決して遅くありません。要は走り方なんです。
●だんだん見えてきました。
上手な人達は、まず第一コーナーへの入りが違います。新潟でレースをやっていますと、@われさきに第一コーナーに突っ込む→A小さな爆発(多重クラッシュ)が起きる→B運良く生き残った車が次のコーナーを目指す、といったパターンがほとんどでした。
ところが全日本に出る人達の走りは、@第一コーナーまでは競い合う→Aコーナー直前で突然一列に→Bそのまま順番にコーナーを通過するのです。考えて見れば8分間レースの予選で競う相手は目の前のライバルではなく、時計です。無理をして、くだらないクラッシュでタイムロスをするメリットは全くないのです。
また、コーナーは突っ込み過ぎず、どちらかと言えば加速でタイムを稼ぐ走り方なども、新鮮なものでした。このようなワークス達の走り方を真似ながら、自分の走りを変えて行ったところ周回数も上がっていき、予選はなんと13位。楽々準決勝に進むことができました。
右は八重洲出版 ラジコンマガジン1983/10月号からのもの、「ビックネーム」の間に私の名前が見えます(なぜか私は名字だけ。確かに”無名”ではありますが・・)。
●準決勝は約5秒届かず、で決勝ならず。
準決勝に残ったのは110名中30名、この30名で2回走って8名の決勝進出者を決めていきます。私はせいいっぱい走りましたが15位で終了。タイムは32周8分03秒でした。決勝進出のボーダーラインは33周8分16秒ですので、約5秒早く走れば残れた計算です。だがこの5秒はとても超えられない大きな壁でした。
初めての全日本で得るものは多くありました。自分の走りが国内最高の大会で通用したという嬉しさも、もちろんありました。またトップの走りを見たことで、超えられない部分の大きさを知りました。
少なくとも一つの世界に足を踏み入れた時、トップと言われる人達のレベルと自分が今いるレベルを同じものさしで比較できたことが、最大の収穫でした。
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