それはAYK、アソシです。
今はなきAYKは「青柳金属工業」の名のとおり金属加工がお得意で、ラジコン以前はスロットルレーシングカーで名を知られていました。ラジコンも金属部品主体で、特にシャフトの中央に小さなギヤを組み込んだデフは工芸品のように美しく、見ているだけで心踊るものがありました。ストレートに組んだだけでよく走り(と言っても私はキットを買ったことはない)レースでは使用者がどんどん増えてきました。
AYKの車は何度か改良が行われ完成の域に達しましたが、逆にあのデフにこだわりすぎていたのかどうか、ライバル各車がこぞってボールデフを採用すると、やや時代遅れのイメージとなったと記憶しています(1986年9月に発売のパーセクではこのデフは使われていません)。
一方アメリカのアソシエイテッドは最初見たとき国産とはあまりにも違った設計思想(ボールデフ、吊り下げ式メカデッキ、樹脂多用の各パーツ、ホイルの止めかたなど)に驚いたものですが、合理的と言えました。リアのシャフトも太く、全体として耐久性も優れていました。
これらが登場してからも、私の場合、「部品は使わせていただいても、車自体は自作。」と言うポリシーは維持していました。しかし自作の致命的な欠点が無視できなくなってきたのです。