自作時代の終焉
自作命で来たけれど・・・
 どのようなキットが出てこようと、自作車は最強と思っていました。なぜなら、万人向けに作られたキットは、どこかに甘さがあるからです。それはメーカーによってサイズがまちまちな受信機、サーボを載せるためのゆとり、レースの繰り返しに耐えられない部品の耐久性だったりします。

「実車のF-1だって自作車のようなもの。」という思いでがんばってきましたが、自作時代が終わりに近づきます。

あなどれないキットが続々と出てきました。
それはAYK、アソシです。

 今はなきAYKは「青柳金属工業」の名のとおり金属加工がお得意で、ラジコン以前はスロットルレーシングカーで名を知られていました。ラジコンも金属部品主体で、特にシャフトの中央に小さなギヤを組み込んだデフは工芸品のように美しく、見ているだけで心踊るものがありました。ストレートに組んだだけでよく走り(と言っても私はキットを買ったことはない)レースでは使用者がどんどん増えてきました。

AYKの車は何度か改良が行われ完成の域に達しましたが、逆にあのデフにこだわりすぎていたのかどうか、ライバル各車がこぞってボールデフを採用すると、やや時代遅れのイメージとなったと記憶しています(1986年9月に発売のパーセクではこのデフは使われていません)

一方アメリカのアソシエイテッドは最初見たとき国産とはあまりにも違った設計思想(ボールデフ、吊り下げ式メカデッキ、樹脂多用の各パーツ、ホイルの止めかたなど)に驚いたものですが、合理的と言えました。リアのシャフトも太く、全体として耐久性も優れていました。

これらが登場してからも、私の場合、「部品は使わせていただいても、車自体は自作。」と言うポリシーは維持していました。しかし自作の致命的な欠点が無視できなくなってきたのです。

自作パーツは同じものが作れない。
レースのスピードはどんどん上がってきます。360モーターに4.8Vでスタートしたラジコンも、380sモーターに6V、続いて540モーターに7.2V、さらにはハイパワーモーターとスピードアップ、その分クラッシュしたときのダメージも激しくなってきました。

また、レベルが向上すれば消耗した部品は早めに交換しコンディションを保たなければなりません。

自作パーツは完全に同じものが2度と作れないのがネックとなります。

自作車の後期の作品、ほとんどアソシですが、一部タミヤの部品も

愛車をファントム4WDに決定
と言うわけで自作をあきらめた私はアソシを選ぶことにしました。ただしレース中に破損することのないメカデッキだけは、自分で切り出すことはやめませんでした。

アソシを使っていた期間はそう長くなかったように記憶しています。一時的にAYKのサイクロンなども使ってみましたが、こちらは(言いにくいんですが)「メカニズムを楽しむ車」と言えました。

サイクロンにあまりよい印象がないのは、 やや遅れて登場した京商のファントム4WDに一度レースで完敗したせいかも知れません。最初ファントムを見たときは「何とまあ奇妙な車が・・・」と小ばかにしたものですが、レースでは他のメンバーが続々と使い始め、そのパフォーマンスは驚くに値するものでした。

私もここに至ってファントムを使わざるを得なくなったと言うのが正直なところです。常設のサーキットならいざ知らず、グリップの悪い駐車場などで開かれるレースの場合、2WDはセッティングに失敗すれば悲惨ですが、ファントムは路面を選ばない点で心理的にはとてもありがたい車でした。

昭和58年及び61年の1/12電動レーシング全日本選手権では、どちらもファントムを持っていきました。ファントムは私の期待に十分応えてくれました。