タイヤが消える4WD
体育館専用スペシャルとは?
このページでは、自作車の中でも特にユニーク(と言うべきか、あほと言うべきか)な車を紹介しています。

ラジコンはやはり燦々と輝く太陽の下でやるのが最高ですが、夏ともなればアスファルトの照り返しで肌は黒く焼け、汗は乾いて白く粉を吹きます。だが雨の降る心配がない晴天の朝は「さあ今日はがんばるぞ」と気分も盛り上がります。皆さんもそうでしょ?

だが、新潟の冬はラジコンには向きません。雲はどんよりたれ込め、雪も降る。そんな中、ラジコンをやろうとすれば、自ずから室内レースとなってしまいます。シリーズ戦も冬場は体育館などに場所を移して続けられました。また、夏場のレースであっても、体育館などが会場となることもありました。

後輪駆動にとって板張りの路面が走りやすいはずがありません。タイヤを種々試しても、アクセルを吹かしすぎれば車は簡単にスピンします。レースは我慢の展開になります。 そこで工夫をしたのが・・・。

 

それはタイヤが消える、ツインモーター4WD
昭和53年の夏、新潟まつりのイベントの一環としてテレビ局主催の大きなレースが行われました。会場の都合でレースは体育館と決まり、私は密かに秘密兵器の準備に入りました。それは右のような車でした。

すでにFF車のISIMASAは発売されていました。このユニットを使えば簡単に車は作れたのですが、わざわざこのレースのためにお金を使うこともばからしく、手持ちの部品で4WDを仕立ててみようと思ったわけです。

この車、ギヤボックス毎動かすわけですから、ステアするとタイヤは極端に前後します(いわゆる幌馬車方式)。ボディーはこれに合わせてコブラを選択しましたが、コーナーリング中は前輪が消えてしまう、まことに奇妙な車になりました。

操縦性はお世辞にも良いとは言えません。特にコーナーリング中はステアしたとたんに車は横を向き、そのまま走っていきます。そこに思いきりカウンターを当て後はアクセルコントロールで制御します。ある程度走らせることで、コツはだんだん飲み込んできました。

決勝レースがスタート。後輪駆動勢が先行します。しかし2、3週過ぎたあたりからタイヤにごみが付着すると、彼らの操縦性は極端に落ちてゆき 、私がトップに。後は面白いように差をつけて圧勝しました。

今日まで何百回レースに出たかは忘れましたが、あれほど2位に差をつけたレースは後にも先にも記憶がありません。だがこの車、アスファルトの上ではまったく役に立ちませんでした。

我がチームのメンバー、左から2番目がその車です

シリコンタイヤで板の間もガンガン
ツインモーターの4WDはその後の室内レースでも無敵の活躍をしましたが、「モーターは一個にしませう。」と言う当たり前のレギュレーションが明確になり、お役ごめんとなりました。

仕方なく考えたのが、タイヤのグリップアップ作戦です。色々のトライをしましたが、最後にたどりついたのがシリコンタイヤです。スポンジタイヤに市販のバスコークなどを厚く、均一に塗ります(ここには独自のノウハウが必要)。その後トレッドパターンを削り込みます。また、車に細工をし、刷毛やスポンジなどで常にタイヤ面を掃除しながら走り、ごみの付着を防ぎます。

この車、例え板の間であろうともアスファルトと同じようにアクセルをガンガン入れられました。他のドライバーも採用し始め、バスコークタイヤは一時期一世を風靡しました。

だが、思わぬところに落とし穴が待っていました。レースの後に体育館で練習したバスケットのチームがあまりにもころころ転ぶので原因を追求したところ、バスコークタイヤのシリコンが原因と判明したのです(シリコンコーティングをかけていたのね)。これを境にバスコークタイヤには「禁止」のお達しが発せられました。