しばらくは自作中心
 
自作に走った理由
 タミヤがポルシェ934を出したのが1976年、また私が初めて全日本に出場したのが1983年です。このとき使ったファントム4WDはほとんどキットだったのですが、934からファントムまでの数年間、私はキットを買ったという経験がほとんどありません。主に自作シャーシと各社のパーツで車を仕立ててきました。

それはなぜか、と言いますと・・・。

シャーシがあまりにも脆弱だったぞ
934ももちろんですが、ほとんどのシャーシに使われるジュラルミンシャーシ(7075ですらない)はワンクラッシュで調子が狂い、ツークラッシュで変形するというレベルでした。

そこで様々な材料をシャーシに試しました(木も使った)。ほとんどがうまく行かなかったのですが、最後に現在も一般的に使われるグラスファイバーにたどり着きました。

シャーシに適当な大きさや厚さのグラスファイバー板は探せばきっと売っていたのでしょうが、当時は模型屋でも扱いがなく、ラジコン飛行機の要領で自作することにしました。ガラスの板の上にガラスクロスを何枚か敷き、樹脂をたらし、上からまたガラス板を重ねておもりを乗せて硬化を待ちます。半乾きを見計らって取り出し、カッティングします(固まってからじゃ大変なので)。

 グラスシャーシは当時誰も使っていなかったので、周囲から驚きの目で見られたものです。もちろん耐久性の問題はこれで解決しました。

その後グラスシャーシは一般的になり、素材としてのグラス板も自由に入手できるようになりました。  

ろくなギヤボックスがなかったぞ
 キットのギヤボックスは総じて車軸がシャーシに近すぎ、必要以上に車高が高くなりました。と言ってスペーサーなどを噛ませると、モーターまで上に上がってしまうわけです。

 市販品にはなかなか満足なギヤボックスはありませんでしたので、ジュラルミンの板を買ってきて自作することにしました。幸い就職した会社はメーカーで配属も開発部門ですから、穴あけ、折り曲げなどに使う工作機械には不自由しません。精度のよい物が作れました。

 もちろん各メーカーから’使える’ギヤーボックスが出てからは、自作はしなくなりましたが。

重量バランスが悪かったぞ
後輪駆動のレーシングカーはミッドシップに限ります。また、重量バランスも前:後=4:6内外が標準です。重心も低く、低く・・が求められます

ツーリングのタミヤTA-03Fのようにフロントモーターのもの(FFベースの4WD)、あるいは後輪駆動のオフロードのように後輪の後ろにモーターがある場合(RR)もありますが、これは駆動方式や路面の特殊性に合わせた例外に過ぎません。 しかし、初期のキットにこの原則を満足するものは少なかったのです。

これはまだ初期の車のスピードが遅く、重量配分の優劣が顕著に出なかったこと、あるいは初期のメカ(サーボや受信機、あるいは受信機用電池!)のサイズが大きく、ホイールベース間にきれいに搭載するスペースが見つからなかったことによるものと思われます。

初期の頃の私は成り行きでメカを並べていましたが、何作目から後はおおむね現在のレーシングと同じレイアウト、すなわちモーターは車軸の前、バッテリーはその前、という車を設計していました。また受信機用電池は早くから使っていませんでした。

発想の原点は「貧乏」です。送信機用電池はまだしも、受信機用まで買うとお金がいくらあっても足りません。走行用バッテリーから引っ張ったら?とやってみたら、「これでいいじゃん」となったわけです。もちろんバッテリーがなくなると最後はノーコントロールになりますから、どこで走行を切り上げるかには気を使いましたけど。

メカデッキは手持ちのメカに合わせてジュラルミンの板を機械で折り曲げたりして、重心を下げながら何とか平らに収めるようにしました。 

ろくなコントローラーがなかったぞ
現在は誰もがアンプを使うようになりましたが、当時の主流は巻線抵抗式。だがこのコントローラーがくせもので、「大きい」、「反応が鈍い」、「ニュートラルが出にくい」「ブレーキが調整できない」「接触不良が多い」ど欠点の多いものでした。選手がレースでリタイアする場合、これによる割合はかなり高かったと思います。

当時のタミヤ標準コントローラー

そこで部品を集めて自作することにしました。
まず、最も信頼のおける巻線として京商のマッハスポーツ用を選択、さらにワイパーはサーボに直結して動かします。通常のキットでは、あらゆるプロポに適合させる必要上、サーボとワイパーをリンケージでつなぐのですが、最初から自分のプロポに合わせて計算して作れば問題はありません。

京商のコントローラーのよい所はまだまだあります。ちょっとした改造でモーター(電磁)ブレーキを追加でき、しかもその強さも自由に変えることができたこと、全体に熱容量が大きく、まず断線しなかったこと、形状が平べったいために、ワイパーのこすれるラインが磨り減ってきたときは、ワイパーを伸び縮みさせて簡単に位置を移動できたことです。

自作コントローラーは反応が非常にダイレクトになり、アクセルコントロール性を高めてくれました。

コントローラーの進化はまだ続きました。写真は自作後期のものですが、メカデッキ自体にFRP基板を使い、コントローラーの部分はエッチングして作っています。抵抗は3段ですが、個々の抵抗値は自由に調節できる設計となっています。通常市販巻線コントローラの「ロー」は非常に抵抗値が高く、レースではほとんど使わない部分ですから、3段でも特に問題ないのです。基盤の銅箔は薄いので、何度かの使用で剥げてきますが、前述のようにワイパーを伸び縮みさせて寿命を延ばします。

ここに来てコントローラーはほぼ完成に近づきましたが、その頃より「使える」アンプが登場しはじめ、役目を終えることになります。