組み立てバイトで稼ぐ
ブーム到来、だがラジコンは誰もが簡単には作れないのだ
タミヤがポルシェ934を出してヒットすれば、各メーカーが黙って見ているわけがありません。プラモメーカー、ラジコンメーカー、おもちゃメーカー、スロットルレーシングカーのメーカーが次々に製品を出し始め、ブーム到来! ラジコンは子供たちにとって憧れのおもちゃになりました。

ポルシェ934のレイアウトは、今考えればラジコンのシャーシとして決して高いレベルではありませんでしたが、メーカーのほとんどはタミヤをベースにした車作りをしておりました。特に大滝などはコントローラーやボールベアリング付のギヤボックス以外はそのまんまタミヤと言える出来でした。

現在と異なり、プロポの調整はトリムだけ。サーボのストローク変更はおろか、逆転もできません。その分メカ積みやリンケージには細心の注意が必要です。これ以外にもラジコン製作には面倒が多く、子供を中心に「ラジコンはやりたいが、自分では作れない」人たちが多かったわけです。

模型屋に完成済みのキットの販売要望が殺到しはじめます。

そこで俺たちの出番なのだ
「おばさん、今日は何かある?」
「あら、待ってたのよ。今日はこれをお願いできるかな。色は赤がいいそうよ。あさってまでね。」

出入りの模型屋に頼まれる形でラジコン組み立てアルバイトが始まりました。

私の他にやはり大学仲間(マック佐藤氏)の二人でフル回転です。お客が車とプロポ、及び塗りたい色のスプレーを購入します。私はこれを店より受け取り、組み立て、塗装。その後軽く調整走行を行い納品。4、000円のマージンをもらってご機嫌というわけです。卒業研究が忙しい身でしたが(笑)、2年以上 ”あらゆるメーカーの、あらゆる車” を作ることができました。

記憶によれば、こんなところです。タミヤの多さに改めて驚きますが、だいたい客は子供ですからね。

  • タミヤ    ポルシェ934・・・10台以上
  • タミヤ    935・・・8台くらい
  • タミヤ    6輪タイレル・・2台
  • タミヤ    リジェマトラF−1
  • タミヤ    カウンタック・・2台
  • タミヤ    セリカターボ
  • タミヤ    コンバットバギー2台、ランボルギーニチータ
  • 京商     マッハスポーツ・・・数台 
  • 大滝     BMW、トランザム
  • フジミ    名前は忘れた。
  • 横堀模型  ミニレーサーRC−12
  • 日本模型  ランチアストラトス
  • 今井科学  レーシングビートル
  • イシマサ   FF12E/サバンナ
  • トドロキ   プロジェクトER-12 
・・・・んー、まだまだあったはずだ。

もちろん、もらったお金はほとんどその場でパーツに変わりました。

当時の車のレベルと言えば
前述のように1/12レーシングはタミヤを意識した車がほとんどでしたが、エンジンカーから思想を引っ張って来た車は刺激的でした。だが全体として言えること、それは 「非常に完成度が低い」 ことです。ワンクラッシュでサスペンションアームが折れる車、ギヤにカバーをかけたのはいいがそのために極端にロードクリアランスが取れなくなった車、ホイルがきちんと固定できない車、横Gがかかると大事なパーツがすり切れていく設計の車、あるいはオフロード系ではチェーンの取り回しが複雑で、どうやっても滑らかに動かない車などがありました。

今考えるとこの時の経験が私にとっては財産になりました。機械には設計思想が必要です。設計思想は、言いかえれば志です。ブームに便乗しようと、思い入れのない設計者が生半可な知識と時間で作った車は、結局使い物になりません。また独創的に作りすぎ、バッテリーなどに汎用性のない車も困ってしまいます。後が続きません。

ラジコンブーム初期の車で評価されるものとして、京商の「マッハスポーツ」を挙げることにします。この車、シャーシがバンパーなどに使われる”カイダック”製、本当に頑丈でよく走りました。多くの人が使っており、トラブルも少なかったようです。これこそラジコンを知っているメーカーの手堅い製品でした。次ページで説明するように、私はほとんど自作のシャーシを使っていましたが、唯一初期のレースでマークすべき車であったように記憶しています。

その後やや時代が下がると青柳(AYK-RX1200)やアソシなどが登場します。この2社の車を見て、やっとまともな車が出たと感じた私でした。