おまみさんより
「このレリーフの絵は三段空母時代の赤城を後ろから見たところのようです。
その根拠ですが・・・
これほど腰高の空母は赤城か加賀しか存在しませんし、それを証明する中部飛行甲板らしき段差が艦首付近に表現されています。
そして赤城と加賀との判別点としましては、加賀は三段空母時代、煙突の取りまわしが左右舷中央部から後部に向かってパイプのように伸びていたようですが、このレリーフではそのようなものは見当たりません。赤城は右舷中央部から下に120度反転した形状の煙突でして、レリーフにもそれっぽい物が高角砲前部に表現されています。
他にも艦尾のとがったラインは明らかに当時の巡洋戦艦のデザインです。加賀は元戦艦なのでストンと直角に降りています。
また、上部飛行甲板にある艦橋らしき構造物は、改造が終了した加賀から移設された航海艦橋でしょう。三段空母時代の末期に赤城に設置されていました。
一緒に書かれてる飛行機は、赤城が改造される昭和10年以前であり、加賀からの航海艦橋を移設した昭和9年以降の艦載機ということになります。
その頃に赤城に搭載されていた飛行機は中島90式艦戦と三菱89式1号艦攻なので、恐らくらくそのどちらか、もしくは両方ではないでしょうか?
こういうレリーフは実際の写真を元にしていることが多いので、その信憑性はわりと高いと思います。赤城と加賀は世界の四大空母のうちの2隻としてとして国民に親しまれていたそうなので、レリーフのデザインにも積極的に使われたのでしょう。」 |