製作裏話に戻ります。
幸いなことに勤めている会社には実車に乗っている同僚がいましたので、何枚も写真を撮り製作開始。このためエンジン部はかなり納得の行く出来になりました。
塗装はややオレンジの入ったメタリックレッドですが、下地を整えた後、やや粒子の粗いシルバーから、レッド系のクリアーを色を薄くしながら段階的に重ねていき、深みを出しました。7〜8回重ねた後、十分乾燥させて磨きを入れます
(他の人はどうしているかは知りませんが、私の場合ボディーは最初に塗装します。塗装が磨きに耐えるまで十分乾くにはずいぶん時間がかかるからです。100%乾燥しないまま磨きを入れると、その時は良くても後から表面のつやが落ちることがあります。)。
このモデルは1992年の第一回新潟県プラモデルコンテスト(新潟県のおもちゃ小売店の連合が主催)のカーモデル部門で優勝させていただきました(フィギュア部門はナ○○カで2位)。審査にはタミヤから社員の方が来られ、「タミヤ賞をあげたいけど、フジミですから・・。」と誉められました。タミヤにもお茶目な人はいるものです。
ちなみにこの時私は、奥さんと婚約するかしないかの大事な時期だったのですが、コンテストの締め切りが迫っていて、日曜日にデート(死語でしょうか?)もそこそこに、「悪いけど、プラモデルを作らなきゃ。」と日のまだ高いうちに奥さんを帰したものですから、先方のお母さんが「もう帰ってきたのか。」とあきれていたと聞きました。確かに親の立場で考えれば、こういう非常識な男のところに嫁にやるのはためらうだろうな・・・。
ちなみに、このホームページを作っているところをのぞき見た奥さん、「私、この赤い車は見たくないの。」と言いました。