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タミヤニュース1982年7月号(vol.125)で紹介された我がチームの記事(原文のまま)です。

 初めまして。新潟県は三条市で、RCカーによるレース活動を積極的に行っているグループ、SRD(SANJYO RAClNG DEVELOPMENT)を紹介させていただきます。 

  発足は1978年で、プームだったこともあり田中聡前会長のもとに150人ほどの会員が集まり盛大にレース活動を開始しました。現在4年目に入り約80名ほどのメンパーでなお精力的にRCの楽しさ、スリリングさを満喫しております。

 レースは年5回ほど行い、EXとFRに分けEXクラスにはポイントを与えて年間チャンプ等を決めております。EXクラスは非常にシビアな雰囲気で、その年の成積が翌年のゼッケンNOを決めることもあり、得点1点の上下にも大騒ぎする光景が見られますが、FRクラスでは初・中級者にレースの雰囲気を知ってもらい、楽しんでもらうことを考え、スポンサーの「クリヤマモケイ」にも無理を願って賞品もなるべく多く出すようにしています。

 もっとも初・中級者をどうやってレベルアップさせていくかはどこのクラプでも頭の痛い間題だと思います。昨年まてはトップさえしっかりと団結していれば人は自然と惹かれて集まって来るといった考えてやって来ましたが、今年からは講習会や技術指導なども積極的に行って行きたいと考えています。

 レースが年5回とはばかに少ないと感じられるかもしれませんが、これは当地が雪国で、12〜3月は雪上でバギーを走らせる以外、全く戸外での走行が不可能になるためと、私達三条を始め新潟・長岡・柏崎の4つのクラプが普段から連絡をとり合って、なるべくお互いのレースに選手を出し合うよう努力し、スケジュールなども調整しているためで、4クラプを合計すれば年間15戦にもなろうかと思います。

 例えば新潟にはJRCC公認の300mA級専用コースがあリ、モーターをギンギンに回しての「玉砕レース」、柏崎ではもっぱら冬場体育館を使った「タイヤ戦争レース」、そして我がSRDは毎回アイテアをひねって作る超テクニカルコースによる「ぴくぴくレース」を特徴としておリます。

 各地て行われるレースのたぴにお互いよリすぐりのエキスパート(自分でそう思う人は皆エキスパートてす)を送り込み激しい攻防をくり返していますが、一昨年の新潟での最終戦に劇的な1-2-3-4フィニッンュを決めてからは、昨年一年間はほとんど全ての大会でSRD勢が上位を占めるようになりました。

 今年は有力メンバーが大学進学などで抜けましたが、続々と新人が育って来ていますのて当分三条の優位は変わらないものと思われます。

 ところで最近面白いものは何といってもフォーミュラーレースですね。SRDでは去年から前座としてF-1、F-2混合によるレースを行っていますが、かえってメインレースより人気は高いくらいです。レギュレーションは、1200g以上、6V、380S、スケールタイヤを骨子としており、20分2ヒート合計周回数で争うわけてすが、ほとんど性能に差のない車を駆ってテクニックと集中力の限りをつくして競い合う楽しさはまた格別です。

 勝利を意識する人、ものぐさな人、暇のない人はF-2を使いますが、本物のカーレースが大好きな者達はこぞって最新式のF1を自作ボティで持ち込んて来ます。

 ディスプレイモデルはもちろん、RCカーであってもそこには常に対比すべき「実物」が存在するはずです。ディスプレイモデルが常に静的に実物と回りの区切られた空間を追求してゆくのに対して、RCカーは形、動きはもとよりピットワーク、レース進行、観客までが実物のコビーと考えることが出来、それがRCカーの一番の魅カではないでしょうか。

 ポテンシャルの高さを競う1台数万円のマシンも大いに結構ですか、実物志向をより満喫出来る、こうしたフォーミュラーレースはこれからも続けて行こうと思っています。クリヤマモケイで今圧倒的に売れているのはF-2だそうな。ぜひF-2、F-1のスペアポティを増やしていただきたく静岡まて行ってお願いしたい所です。

 最後にメッセージ。SRDの会員諸君、会員になってもレースに出て来なければ意味がありませんよ。まだ下手だからなんて思ってないでどんどん出ておいで。また新潟県に限らず全国のRCドライバーの皆さん。いつでも道場破りに来て下さい。

記:佐藤(二代目会長)

 

田宮模型様 掲載承諾済み

追  記
・約20年前に自分が書いた文章を見るのはとても恥ずかしいです。
・冬はバギーチャンプに金属スパイクを履かせたりしていました。
・自作ボディーはFRPなどで作ります。初代会長の十八番で私もやりました。自作ボディーはクラッシュして壊れることを誰もが期待します。

・JRCC公認の300mA級専用コースは問屋さんが運営していました。これにより新潟のレベルが上がったと言えます。エンジン主体で、石原選手、京商の岸選手なども良く来てくれました。